風雨臥し聽くその夜闌けに / 10



 火ィくれや、と、まるで煙草を吸う時の様な要求を投げれば、だからと言う訳では勿論無いだろうが、土方はいつも煙草の為に持ち歩いている愛用のジッポーライターを放って寄越した。
 「ほら、おめーもここ座れって、」
 言いながら適当に隣を靴底でこつこつと突くと、銀時はその場に膝をついた。そんな銀時を見下ろしていた土方は何やら大儀そうな溜息はついたものの、大人しく室外機から立ち上がると、示された通り隣にしゃがみ込む。
 二本だけ持って来た線香花火の片方をその手に押しつける様にして渡すと、ジッポーライターの蓋をかちんと開きながら、銀時は人差し指を立てた。
 「良いか?一本ずつしかねぇから一度っきりの勝負だからな?どっちが先に落ちるか」
 「また、ガキみてーな事言い出すな。一本しかねぇならゆっくり楽しむぐらいの風情で、」
 「あらら〜?勝つ自信も無いのかな〜副長さんは」
 案の定渋い顔を作ってみせる土方の、さも呆れたと言いたげな横顔に向けて、銀時は口の両端をゆっくりと吊り上げて笑った。自分で言うのもなんだが、きっと相当に腹の立つ表情を作れている自信はある。
 その効果は覿面。眉間に解り易い皺を一つ刻んだ土方の、瞳孔開き気味の眼球がゆっくりと動いてこちらを向いた。細まった目の淵で鋭い眼光が光る。或いはそれは天を色鮮やかに染める花火の照り返しであったかも知れない。
 「……安っぽい挑発だが乗ってやらァ。よし、どっちが先に落ちるか、だな」
 ふん、と、「仕方無い奴だ」とばかりに応じて来る土方だが、乗せられてやったのだ、と思わされていると言う事ぐらいは承知の上なのだろう。それこそ、昔は喧嘩にでもなった事だが、今はただの戯れにしかならない。
 「っし。じゃあ同時に火ぃ点けるぞ」
 ただの戯れ。遊び。花火が燃えて、消えるまでの短い間だけでも、同じものを見ながら同じ事を考えていたいと言うだけの、下らなくてささやかな『お願い』の様なものだ。
 言って、銀時はライターを点火した。横から火を差し出したそこに向けて、二本の線香花火が同時に近づいて、同時に紙を黒く焦がしながら燃える。
 ぢ、と、両方の線香花火の火薬に火が点いた気配を感じた所で、ライターを握った手を引いて火を引っ込める。乾いた音を立てて蓋を閉めるのとほぼ同時に、控えめに、花火の先端で小さな火が燃え始めた。
 見る間に、ぢりぢりと音を立てて花火の先端に丸く震える小さな蕾が生まれる。不安定に震えるそれは、紙縒の様な花火を僅か揺らすだけで落ちて仕舞いそうに頼り無い。銀時も土方も、線香花火を摘む手や腕に無意識に力を込めて仕舞う。
 そうして熱心に見つめるうち、徐々に蕾があちこちで開いて火花を飛ばし始める。最初は小さいと思っていたそれは少しづつ大きな火になって、ばぢ、と稲光の様に鋭く弾ける。
 二人の手元で小さな花がちらちらと咲く、その頭上でまた大きな花火が上がった。それは直接には見えなかったが、目映い光が町を白と黒の陰影に塗り分けるその様に、思わず銀時は頭を巡らせてそちらを振り向いた。
 「あ、」
 果たしてその動きが徒になったのか、膨らみきって最後のか細い火花を散らせようとしていた火球がぽとりと地面に落ちた。冷えたアスファルトの上で忽ちに冷めて火花ごと消えて行くその様に、咲いていた花を手折って仕舞った様な感覚を覚えた銀時は、我知らず沈痛な面持ちを形作った。
 一時白い程の光に染まった町が再び影に沈んで行く中、隣に居る土方の手元だけが未だ明るい。きらきらと火花が美しくも果敢なく弾けて、咲いている。
 その小さな光に輪郭を照らし出されて、闇の様な色彩を纏った男は笑う。小馬鹿にした様な調子だが、そこに潜むものが痛みをもたらす棘だけでは無い事を、銀時はもう知っている。知っていた。
 「根性が足りねぇんだよ。俺のは未だ、」
 柔らかく持ち上がった唇が紡ぐ、その先を明確にしない侭に、銀時は手を伸ばしてその頤を取った。瞠られる眼が何かを語るより先に、口接ける。
 「──、」
 火花を散らせていた線香花火が、その先端で燻る火球諸共に地面にぽとりと落下して、一時派手に火花を散らし、そして弱々しく消えた。辺りが忽ちに本来の夜の暗さを思い出した様に、暗くなる。
 その、忍び寄った闇の狭間に紛れ込む様な唇の接触。
 互いの顔も伺えぬ程に暗く感じられる、閑かな闇の帳が落ちたのはきっとそう長くはない僅かの空隙だった。空で光の花々の代わる代わるに開いては萎む、刹那の隙に差し挟まれた影の中。その僅かの隙に生じた秘め事めいたそれに、果たして動いたのはどちらの手が先であったか。
 「、」
 銀時は土方の両頬をがちりと掴んで、土方はそんな銀時の後頭部を両手で引き寄せて、互いに深く、隙間など生じぬ様にと言う様に、がむしゃらに、喰らい合う様にくちづける。
 まるで幾年も巡り会う事の叶わなかった番いの様な必死さと、切実さであった。だが、その激しさの割に二人の心は非常に穏やかだった。触れ合う膚が、重なる影が、この侭一体になってもおかしくないと思える程に安らかで、多幸感に満ちている。
 弾む呼吸。胸を打つ鼓動。圧倒的な勢いで満たされていく、今までは気付きもしなかった飢餓感。
 深く重なる影の狭間で再び光が散った。地平から差し込む陽光の様に真っ直ぐに届く灯りの中で、それまで恰も一つの事物の様に融け合って重なり合っていた双つの影に生じた、灯りの空隙。そこからゆっくりと距離が開いていく。
 「……は、ぁっ、」
 丸く開いた土方の口からこぼれる、湿った吐息に膚を打たれて、銀時は冷めやらぬ熱がそこから沸々と煮立つのを感じていた。地面にすっかりと尻を落として仕舞っているその背に手を回して、抱え込む様にして建物の影へと引き込む。
 花火の音は未だ続いていたが、その創り出す陰影の影。光る花弁の今度は決して降り注がない、暗い、闇を遮られる事のない小さな影たちの狭間。
 「…っおい、待て、」
 再び口接けようと口を開いた銀時の顔を、突き出した掌で無理矢理に遮って、土方が唸る様に言う。幾度か呼吸を繰り返して息を整える彼のその気配から、銀時は燃え滓のそれに似たものを感じて咄嗟に、突き出された手を掴んだ。
 「なぁ」
 「待てってんだろうが、聞き分けろ」
 然しぴしゃりとその手を振り解かれ重ねて言われ、銀時は体内で燻る炎が無情にも強風の一吹きで吹き散らされるのを見て仕舞った気がして、一気に冷める理性の重みに両肩を落とした。
 「………えー…。この空気になって、そう言う事言う普通」
 「普通だから言うんだろうが。繰り返して言え、仕 事 中」
 「しごとちゅう。ハイハイ、わーってる、解ってるって…」
 「とか何とか言いながら尻撫でてんじゃねェよ、エロオヤジかてめぇは」
 真顔で抗議を寄越す土方に、今度は悪戯めいた動きをしようとしていた手を叩き落とされて、銀時は頭の中で弾けたシャボン玉を見送る心地で、大きく溜息をついた。頭を掻きながら何とか土方から完全に手を引き剥がす。
 「こう言うのは勢いと雰囲気勝ちだろ?」
 襟元を正してさっさと立ち上がる土方の姿には、先頃まで交わしていた必死で熱心な口接けの気配など最早微塵も残ってはいない。その事も悔しくて、惜しくて、銀時は唇を尖らせるのだが、
 「雰囲気に流されて一夏の過ちを犯す若ェのが絶えねェ理由、知ってるか?」
 「……それもう答え出てる奴だよね。雰囲気に流されたのが悪いって普通に言ってるよね」
 「正解だ。と言う訳だから諦めろ」
 その未練や名残さえも、あっさりと斬り捨てる調子で畳みかける土方にぴしゃりと言い切られ、銀時は両手で頬杖をついて深く、深い溜息をどんよりと吐いた。
 「……勝負には勝ったんだからよォ、何かご褒美とか賞品貰ったっていいだろ?」
 すると、再び煙草を咥えた土方が眉を持ち上げた。その足下でまだしゃがみ込んでいる銀時を見下ろして言う。
 「はぁ?先に花火落ちたのはてめーの方だろうが」
 「はいはーい。先に落ちた方が負けとは一言も言ってませぇん」
 戯けた調子でそう返せば、土方は少し考える様な素振りで空を見上げる。花火が遠く夜空を染めるのに少しだけずれて音が響く、その下でも彼が笑うのははっきりと解った。
 「…ったく、減らねぇ口だな相変わらず」
 先頃もお登勢に同じ様な事を言われた様な気がする。然しどちらもそう悪い響きでは無かったから、銀時も笑うだけでそれに応えた。
 そんな銀時の笑みに勝ちを、珍しくもあっさりと譲る事にしたのか、土方は見上げていた空から頭を水平に戻した。態とらしく溜息をつくと、携帯電話を取り出して時間を確認する。
 「……遅くはなるだろうが、仕事終わって時間が空いてたら、訪ねて行ってやらァ。ただ、明日も普通に要人護衛の仕事が続くから、泊まってもられねェが、」
 「待ってる」
 銀時の口から出たのは、己でも思いの外に急いて押し出される様な言葉だった。"あぁ、そんならあんま期待しねーで待っててやるよ"──いつもだったらそんな風に返していた所だろうに。
 珍しくも正直な銀時の返事に、土方は少し驚いた様に眼を開いてみせたが、「…おう」と少し躊躇いながら頷いて、煙草に火を点けた。手を軽く上げていとまを告げると堤防のある方へ向かって少し足早に去って行く。
 「………」
 その背中が花火の光の照り返しに飲まれて見えなくなった頃、銀時は膝の上に額をごつりと落とした。背を大きく撓ませて深く深く息を吐き出す。熱は遠い。逃した気のした獲物も。
 何とも言えない不完全燃焼の不安定感を蟠らせながら、銀時は癇性めいた仕草で頭髪を引っ掻いて、地面にその侭座り込んで壁に寄りかかる。
 別に何日も何年も離れていた訳でも無いのに、憶えたのは酷い飢餓感だった。土方が少しでも流されようと甘い隙を見せたりしたら、それこそ歯止めも理性も何も聞き入れられなかったかも知れない。
 (それもう性犯罪者一歩手前じゃねーか…。〜ああもう畜生、)
 大きな光の下で仄めいた、小さな線香花火の、懸命にも見える火花の歪な散り際。美しくて惜しくても、それを、それの作る一瞬を留めておく事など誰にも出来はしない。だからあの瞬間に得た飢餓感や強く乞うばかりの想いはもう、今となっては何処かへと霧散し消えて仕舞っている。
 甘さと苦さの残留した不快な味わいのまだ残る口内で舌なめずりをして、銀時は静かに笑う。保たれた、諦めと歓喜との等量に混じった、稚拙な均衡。
 だが、それが快い。死を偲ぶ花の下で、生を謳歌する者達の逞しくも賑やかな生き様のように。
 壁に後頭部を押し当てながら見上げた夜空に、一筋の雲が流れていくのが見えた。







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