風雨臥し聽くその夜闌けに / 14 台所に置いてある布巾で缶詰を軽く拭いて、引き出しから取り出した缶切りをくるりと手の中で回す。中のシロップがこぼれない様に気をつけながら手際よく缶詰を開けていけば、次第に甘い匂いがふわりと漂い出した。軽く鼻を鳴らした銀時は甘いその味を想像して、思わず口元を弛ませて仕舞う。 甘味なら矢張り菓子類の方が食い出もあって好みだが、生の侭の果物も好きだ。菓子類にも生の果物が添えてある事も多いから、二つが相性抜群である事も銀時はよく知っている。例えばパフェとか。 (あー最近パフェ食ってねぇなぁ…。うちの家計じゃそれどころじゃねぇってのもあるけど、最近は団子屋とかそう言う、外で食える様なもんばっか選んでたしなぁ…) 団子屋にせめてフルーツの入った蜜豆でもあればいいのだが、生憎と銀時の知る、安価に旨い団子を食べる事が出来る様な店ではそんな小洒落たメニューは供されていない。況してパフェなどと言うハイカラな代物が出て来る筈も無い。 パフェが食べたければファミレスやカフェにでも足を運べば良いだけなのだが、何分ああ言った店は店内飲食が基本である。店内で甘味に舌鼓を打つのは悪くないのだが、町の中を歩く誰かに『偶然』に出会う事はまず無くなって仕舞う。 (………アレ?結構俺、慎ましい事考えてたりした?あんまり深く考えて無かったけど…) 口元はだらしなく弛んで笑んではいるが、背は厭な汗が伝っている。適当に団子屋にでも行けば巡回でもしている待ち人に会えるなどと、そんな恋する乙女の様な行動をどうやらさして意識もせずにしていたらしい己が唐突に恥ずかしくなって、銀時はぶんぶんと頭を振った。 (…よし、今度パフェ食いに行こう。うん。出来れば一緒に……、) そんな風に無理矢理に思い直した所で然し肩を落とす。それは流石にハードルをいきなり上げ過ぎかも知れない。何しろ相手は覚悟を決めれば堂々と振る舞う男前だが、そこに至る前は無駄に悪足掻きをして逆ギレをしながら恥じらいを誤魔化そうとする、シャイでウブな土方十四郎氏なのである。無理強いはしない方が良い。命惜しくば。或いは、この関係が惜しくば。 命はともかく関係は惜しい。漸く手に入れた、ささやかな恋愛ごっこを育んでいる最中の恋人なのだ。手放したくはないし手放されるのはもっと御免被る。 (やっぱ、良い歳こいてからの色恋沙汰ってのは、厄介なもんだな) 厄介と表しながらもそれが大事だと言うのも妙なものだが。苦笑一つ残して無駄な思考を振り払うと、銀時は食器棚から陶製の器を取り出した。大量生産の安物だが、サイズが使い易くて重宝しているものだ。 缶の蓋を押さえて少しシロップを溢してから、フォークを使って中の白桃を取り出す。シロップは中身一杯に入っているので、その侭ではこぼれて仕舞う確率が高いのだ。べたつくそれを掃除する気力は涌きそうもない。 皮を剥いて真っ二つに切って、種をくり貫かれたそれは、繊維質な表面に甘く少しとろみのあるシロップに浸っていて、見るからに甘くて旨そうに見えた。 幾つか皿に盛った桃をフォークで二つに割ると、匙でシロップを少しだけ足して、残りは別の器に移して冷蔵庫に入れておく。 それから皿を持って寝室へ戻ると、土方は窓辺に座っていた。その顔の向かう窓はほんの僅かだけ開かれており、雨の音と湿り気の匂いとがそこから入り込んで来ている。 土方の座る直ぐ傍には煙草の箱とライター。どうやら煙を逃がす為に已むなく、面白味もないだろう雨の風景を見ているらしい。別に寒くはないのだが、高くなる湿度は少し心配になる。 襖を閉めると、銀時の戻った事に気付いた土方が、煙草を消した。吸い殻を突っ込んだ携帯灰皿はその侭窓辺に置いて、窓を閉める。硝子の一枚だけでも風雨の音は遮断されて、しんとした空気が戻って来た。 一応は病人である銀時を気遣った様だが、煙草そのものを控える事が出来ない辺りが実に土方らしい。 「雨、収まって来たな」 「あぁ。初夏の夕立じゃ、そう長い事は降らねぇだろ」 布団に座りながら銀時が言うのに、ちらりと窓の外を見る様な素振りをして、土方。湿度は当然高いが、雨音は大分控えめになっていたし、気温も穏やかな生ぬるさだ。 視界に入ったのか、窓が開いていないから今は揺れていない風鈴を見上げて、土方が僅かに微笑む。きっと、それを見つけた頃でも思い出しているのだろうと思った銀時は、「なぁ」と声を上げた。振り向く土方に手招きをする。 土方は、何だ?と言いたげに眉を寄せはしたが、畳に手をつくとぺたぺたと近づいて来る。なんだか犬猫の様だと思ったが、口にしたらそれこそ命が消えそうなので、そこはぐっと堪えて、銀時はフォークに白桃を刺した。差し出す。 「……」 鼻っ面に突きつけられた桃に、土方は寄せた眉尻を今度はぴんと持ち上げる。その表情は顰っ面以外に何とも名付けようのない様な質であったが、ややしてから溜息と共に彼は大人しく口を開いた。 開かれた唇の狭間に銀時は桃を差し込み、歯がそれを掴むのを見てから、フォークをそっと引く。 「…甘ェな」 もぐもぐと口を動かし、咀嚼した桃を飲み込んで、土方。その唇がシロップで濡れているのが、薄暗い中でも妙にはっきり見えた。 「日保ちする様にシロップに漬けてあんだよ」 「そのぐれェ知ってら」 ふんと鼻を鳴らす土方に、銀時は続けてもう一切れをフォークに刺して差し出す。甘いと言う感想しか寄越さなかったが、不味いとか嫌いと言う訳では無い様で、目の前に突きつけられたそれに、再び大人しく口が開かれる。 飲み込み終わって、三つめ。今度は流石に土方はむっと口端を下げた。 「オイ、何の為にそれ持って来たと思ってやがるんだ」 「見舞いだろ?解ってるけどよ、どうせ沢山は食い切れねェし」 言い募る土方を押し切って、黙りなさいと言わんばかりに唇にぐいと桃を押しつける。すれば寸時、もう口を開くものかと言った顔をした土方だったが、不意に薄く口を開くとそれを歯の間に柔く咥えた。 「……、」 柔らかい桃を噛み砕かない様に咥えた侭、土方は銀時に向けてずいと顔を突き出した。顰められていた顔はほんの少しだけ笑んでいる。……様に見えた。 察した銀時は、土方が歯で支え差し出して来た桃に口を寄せる。互いの口の間で橋渡しされる形になった桃に歯をそっと立てれば、さくりと半分以上の所、土方の唇の至近で桃はぐにゃりと割れて、甘い滴がぽたりと畳に落ちた。 桃を咀嚼しながら、銀時は持っていた皿をそっと置いた。布団に手をつき身を更に乗り出そうとするその様子に、口から滴ったシロップを手で拭っていた土方は、眉間に険しい皺を寄せてみせた。 「人に伝染す気か、風邪っぴき」 冷えた声音と共に額をぺしりと叩かれて、銀時は唇を尖らせる。 「看病してやるから」 「いらん。つーか仕事溜まっててこちとら毎日忙しいんだよ、風邪なんざ引いてる暇はねぇわ」 「だって、桃食ってる土方くん見てたらムラムラしちまったんですゥ。責任取ってくれやがれ」 「何言ってんだ、脳まで髪の毛以上に熱でやられたか?」 ずいと顔を近づけたら、同じだけの距離を取られた。その上妙に突き刺さる物言いをされて、少しむっとしながらも、銀時はシロップを拭っていた土方の手を取った。その甲に舌を這わせる。 「ちゃんと甘ェから平気だって。味覚あるから」 「あのな、風邪の時の味覚症状ってのァ大体鼻づまりから来てんだよ。洟垂らしてねェんだから味がしなくなる訳ねぇだろうが」 何とか甘い空気を作ろうと努力はしたのだが、きっぱりと真顔で言い切られて、気勢を削がれた銀時はがくりと肩を落とした。力無く笑う。 「おめー時々妙な事知ってるよね…」 「解ったら、とっとと桃(それ)食って大人しく寝てろ」 「へいへい…」 どうやら妥協の気配の欠片も寄越してくれるつもりは無さそうだ。名残惜しい溜息をついた銀時は、何故か心なし得意顔をした土方にぽんと肩を叩かれる侭に姿勢を戻した。畳の上へと置いた皿を持ち直して、中の白桃をぱくりと頬張る。甘くて旨いが、心の中はそこはかとなく苦い味わいになった気はしないでもない。 然し、腹に物が入って来た事でか、怠さの和らいだ体に眠気が再び忍び寄って来る。喉越しの良い果物だったのも良かったのだろう、まだ食欲旺盛とは行かない筈なのだが、つるりと全部胃に簡単に収まってくれた。 食べ終わった皿を枕元に押し遣って大きく欠伸をする銀時に、土方はそれ見た事かと言わんばかりの表情を浮かべて、寝る様に仕草で促して来る。 「…で、おめーは?帰んの?」 生ぬるい布団に潜り込んで、姿勢を整えながら銀時がそう問えば、土方は少し考える様な素振りはしてみせたものの、難しげな顔で溜息をついた。 「……机の上が惨状なんでな。まぁでも、もう少し、てめぇが寝るぐらいまでは居てやらァ」 そんな、妥協だか譲歩だかの気配漂う物言いに、銀時は苦笑した。デレと断じるには少し遅いし弱いが、気遣いの様なものは感じられる。 「ンな事言われっと、寝難くなんだろ」 「馬鹿言ってねェでとっとと寝ちまえ」 言って布団を宥める様に優しく叩かれて、銀時は肩を竦めて返しながら目を閉じた。いつになく大人しい銀時の態度にか、布団端に座した土方の気配が少し和らいだ。 (あぁ、そう言や、今日は何か夢を色々見てたな…) 益体もない夢の話でもしようか。記憶の裡に覗き見た感慨でも伝えてみようか。 目を閉じるなり不定形に曖昧に崩れ出す世界の輪郭に触れながら、銀時の思考は二人きりの空間に持ち出す話題をあれこれと模索し始めるのだが、それが形になって口から出ていく事は無かった。 矢張り、季節外れの風邪など引いてしまった体は、睡眠と言う休息を欲していたのだろう。程なくして、銀時の意識は深い眠りに吸い込まれる様にして途切れた。 今更の蛇足ですが時系列。 3 土方の供養告白から初夜でした。 2 土方と初夜致した後。着替え探したりしてます。 4 初夜の後悶々。疲れてた土方を寝かせようとしたら風鈴発見。 5その2 花火大会二日前。買い物先で夕立に降られた神楽と新八が土方を連れ帰って来る。 6 花火大会についデート的誘いをかける銀さん。土方さん仕事なのでお断りさん。 7 銀さん花火大会のプチ花火大会最中。思いついて土方を捜しに。 8 VIP警護中の土方。沖田と話したり、ちょっと先の事について考えてる。 9 休憩中土方。土方捜索センサー搭載した銀さんがやってきました。 10 二人で線香花火。 11その1 花火大会の後、雨が降って来てずぶ濡れの二人。 ここまでが夢の中で回想。 ここからが現在で現実。 1 ↑一昨日、花火大会の後にやってきた土方といちゃこらしました。つまり「今」は花火大会の二日後ですね。雨に濡れた所為で夏風邪ひいて銀さんダウン。 5その1 夏風邪銀さんの寝てる外で雨が降り始めます。初夜↑(3〜4)の経緯を思い出していました。 12 ↑花火大会の後の詳細と言うか、一昨日お風呂で致した回想をしてます。 13 1からの続きで、花火大会二日後の風邪引き銀さんの所にお見舞い土方くんが来ました。 14 ←いまここ。 ……補足が必要って駄目な典型ですね!そう言えば前もやりましたよこんな失敗…。 ← : → |