風雨臥し聽くその夜闌けに / 3 供養みてェなもんだ、と前置いてからぽつりとこぼされた言葉は、多分有り体に言うところの、告白と言うやつだったのだと思う。 然るべき場所で。或いはタイミングで。或いは今よりも大分前の時間軸で。関係性で。同じ言葉を受け取ったとしたら、多分銀時は少し驚いて、それから笑って、冗談話にして仕舞おうと──してやろうとしていただろう。 「俺は、テメーが思う程にテメーの事を嫌って無かった。多分、惚れてたってやつだったんだと思う」 思い切って覚悟を決めて告げたと言うよりは、酒の油断からつい出て仕舞ったと言う類のものだったのか、そう口にしてから吐き出された言葉の意味の転がった場所に気付いたのか、土方は目元をやわく弛めた侭で眉を寄せた。それは少し困った様な、仕方が無いとでも言う様な、達観を伴った表情だった。 取るべき態度を見失って仕舞った銀時を前に、ほんの少し弧を描いた唇に猪口が寄せられて、残った中身をぐいと豪快に飲み干す。 何日か前に土方自身が風呂敷包みで持って来て、置いていった日本酒だ。有名な米所で作られた透明な清酒。少し辛口のそれは、今どんな味わいで彼の喉を滑り落ちていったのだろうか。 酔った頭の片隅で、二人でささやかに開いていた酒宴の直中に放られて転がった言葉は、きっともうとっくに土方の中では一定の折り合いがついているもので、大した効力なんて無い様なものだった。だから酷く軽くこぼされて、もうそれで良いのだと彼は微笑んで盃を傾けたのだ。 「それ、」 「深い意味なんざねぇよ。昔の話だ。今更何の意味もねェからどうでも良い。酔っぱらいの寝言みてェなもんだ」 食いつくには少し時間が経ち過ぎていたのだろうか、それでも端からそうするつもりだったのか、意味を問うべく声を上げた銀時を制する様にあっさりと振り払って、土方は空になった猪口をずいっと突き出して来た。 注げ、と言うあからさまなジェスチャーのそれを銀時は焦点の合わない距離の目で捉えて、白い陶製の猪口のその向こうに、柔い笑みを刻んでいる男の顔を透かし見た。 少し前まではこの男がこんな風に笑うのだと言う事さえも知らなかった。否、知ってはいたのかも知れないが、自分には関わりの無いものだからと無意識に、見ては居なかったのだろう。 それが、今は普通に、何でも無い事の様に、目の前に見えている。 「──」 銀時の手は、土方からの求めに応じて徳利を手に取る事は無かった。空になった猪口を差し向けている土方の指先にゆっくりと、慎重な動作で触れる。大凡酒を注ぐと言う目的には結びつきそうもないその動きに、ぴく、と土方の指が震えて、その向こうの顔から柔らかい笑みが消えた。 空の猪口をそっと抜き取って卓へと、そちらを見もせずに置く。かちりと皿のぶつかる音。 「……供養だって言ったろ。今のこの、呑んだり愚痴こぼしたり下らねぇ事話したりする、てめぇと過ごす時間を、俺ァそれなり楽しめてんだ。今更それ以上も以下も無ェよ」 手の甲から包む様に触れた手越しに、土方も銀時の顔を見た。そうして笑う。今度は達観ではなく恬淡と。本当にどうでも良い事の様に。 然し銀時には解る。解る気がしていた。今までであれば勘違いだと思って終わっていた。だが断言しても良い程には、多分解っている。その程度には言葉も盃も重ねたし刀も背も合わせた。だから。 「供養ってな…。別に殺しちまう必要はねーだろ」 「………」 銀時の切り返しに、土方は寸時口を開きかけて、閉じて。それから猪口を奪われる形となった手を見た。銀時の掌が添える様に重なった、手を。 「今となっちゃ、意味なんてあって無いもんだ。そう思ってなきゃわざわざ言う訳ねぇだろ」 言われて銀時は確信する。これは間違いなく、銀時も土方と居る時間を殊の外に気に入っていると知っているから出た言葉なのだと。確証が無い限りは適当な事でも口にしない。それが土方が真選組と言う組織を抱える上で出来た、慎重さ故のものなのだと、銀時はもう知っている。 (確信はあるのに、意味なんてねぇとか──なんでこう、てめぇは、) 「なぁ。悲しいから無意味とか言うなよ。もし、俺も同じだったって言ったらどうする?それも無意味だって叩っ斬るか?」 手の甲を包んでいた掌に力を込めて、握りしめる。そうして紡いだ真摯な銀時の言葉に、或いは態度に、土方はゆっくりと瞬きをして、空いていた逆の手で自らの額を覆った。 「こう言う事に乗っかるのは狡ィっつーか最悪だぞ、このマダオが」 「……しゃーねーだろ、俺も墓場まで持ってく事だと思ってたんだよ。まさか墓に入れる前に供養されるとか、誰が読めるかってんだ」 「だからって同じ墓に入ろうって便乗するか普通」 やれやれとかぶりを振って溜息をつく土方のそんな物言いが、然し本気で呆れたり嫌がったりしている質とは違う事に、銀時は密かに胸を撫で下ろす。正直、土方が勝手に己の中でこの告白未満劇を消化して仕舞おうとしている事に慌て過ぎた。だが、慌てなければきっとそれで終わって仕舞っていたのではないかとは、思う。今まで見て来た土方と言う男の性格からして。 「同じ墓に入ろうとか、求婚みてェじゃねぇ?」 言って銀時が笑いかけるのを、俯いた侭の土方は見ない。ただもう一度溜息がこぼれる。 「……何の意味があんだよ、今更」 「んー…、これからもこうして一緒に呑んだりとか、奢ってくれたりとか、そう言う意味があればいんじゃね?」 少なくとも、手前ェの頭の中でだけ終わって良い事ではないだろう。そうはっきりと思ってはいたが、銀時はそれは言わずに仕舞い込んだ。その程度には慣れている。時間の堆積の生んだ結実を確信として口に出来る程度にも、解っている。 ふらりと立ち上がった足が卓を回り込んで、土方の座る対面のソファの前へと向かう。 「土方…、」 思いの外に縋る様な声が出た。必死な己を誤魔化す様に両肩を掴んで腰を屈めて行くと、近づいた顔が緩慢な動作で持ち上げられて。至近で互いの顔を見つめ合う。 「…あのな、万事屋、」 「良いじゃねぇか、難しい事アレコレ考えても仕方ねーだろ、お互い良い歳なんだし。もう腹括っちまえ」 言い募ろうとしたのか、呼びかけてくる土方の唇を一瞬の口接けで黙らせて、その侭殆ど触れているも同然の狭間で銀時はそう囁いた。 「てめーは、それで、いいのか」 土方の湿った唇が、殆ど解らない程度に動いて問いて来るのに、銀時は頷く。友達として過ごせればいいなどと抜かしていた筈の頭は、既に他の事で一杯になって仕舞っている。 酷く即物的で、然し生物には覿面の効果をもたらすそれを、欲情とか性欲だとか言う事だけは知っていた。 「これでいい。これがいい」 「……」 黙り込んだ土方に二度目の、今度は噛み付く様な口接けをしながら、ソファに片膝を乗り上げる。がたん、と音を鳴らして、体重を新たに加えられた床と共に安物のソファが抗議を上げるのを無視して体を寄せれば、上向いた土方の喉が小さく動いた。そこから鎖骨までを指でつぅっと辿って行くと、互いの腔内の狭間でアルコール混じりの吐息がゆるりと吐き出された。 熱い。 湿気の強い夜の空気の中に、熱の放散が混じり始めるのをじわじわと膚で感じながら、銀時は土方の背をソファの座面へ押しつけ、その上に身を乗り上げた。 「……せめてそこは布団にしとけよ、こん馬鹿が」 然し、呆れ声でそう言って見上げて来た土方の目は柔く細められていたし、そんな捨て台詞と共に背中に腕が回されたから、銀時は止まるのを止めた。 。 ← : → |