風雨臥し聽くその夜闌けに / 6



 「花火大会、を見ながら、花火大会??」
 「そ。花火してんのを見ながら花火するって話」
 ソファにどっかりと座りながら肩を竦めて言う銀時の言葉に、濡れた髪を肩にかけたタオルで拭いながら土方は首を傾げた。眉を難しげに歪めた所で、考えても無駄だと思ったのか、銀時の横に腰をゆっくりと下ろす。
 「興味は無ぇが、振った以上はちゃんと説明しろ」
 気になってくれちゃう?とでも銀時に訊かれる事を避けようとしたのか、特段に素っ気のない声でぶすりと不機嫌そうに言われる。顎をくいと擡げて言う姿は、到底人に答えを求める様な態度ではないのだが、銀時はそんな土方の様子に忍び笑う。少し前までであれば苛立っただろうそんな姿ですら、今となっては微笑ましく見えるのだから、全く、恋と言うものは人を盲目にして仕舞うものらしい。本当に。全く。どうしようもなく。
 「要するにだよ、明後日に江戸湾の方で花火大会があるだろ?」
 「ああ」
 「ここらの、見晴らし良い高台や川からもよく見える訳だよ」
 「ああ。あちこちで花火大会に便乗した縁日が開かれるぐらいにはな」
 何故か嫌そうに、土方。うんざりと言うその様子は気にはなったが、銀時は構わず続ける。
 「で、その花火大会を河原で見ながら、プチ花火大会をしようって、神楽が言い出してな。何だかお妙もババアも乗り気でよぉ…」
 面倒くせぇだろ?とこぼす銀時に、成程、と経緯に得心したらしい土方は小さく頷き、それから喉を鳴らして笑った。その笑い方が頑是無い子供を宥める年長者の様な質であったので、銀時は続けようとした言葉も忘れて思わずむっと口端を下げて仕舞う。
 「良いじゃねェか、誘われてる内が華だぞ?チャイナも近い内に、銀ちゃんと私の下着を一緒に洗わないでとか言う様な年頃になっちまうんだ。そうなってから、男親の寂しい気持ちを味わいつつ後悔したって遅ェからな?」
 「何その古くさいテンプレ的な譬え。今時いないからねそんな娘。つーか娘じゃねェし?」
 咄嗟に噛み付き返すが、笑う土方の穏やかな気配は揺らがない。銀時は態とらしく大きな溜息をつくが、何だか和んで仕舞った部屋の空気を振り払うには至らなかった。
 そこに丁度新八がお茶を入れてやって来たので、盆から直接湯飲みを取り上げて思い切り啜った。熱さに顔を顰めるが、呑まずにやっていられるか、と言う勢いである。アルコールですらないが。
 と言うかお茶がいつもより濃い。一応来客と言う事で気を遣ったのだろうか。「どうぞ」と出される湯飲みを「あぁ…すまねぇな」と受け取っている土方の方をちらと見遣って再び嘆息。
 「雨上がるまででも、ゆっくりしていって下さい。じゃ、僕アサリの砂抜きして来ますんで」
 「…おう」
 朗らかに言って台所へ戻って行く新八の背中を不思議そうに見ている土方。矢張りこれは知らぬが花と言う奴かと思い、銀時は殆ど空になった湯飲みを卓へと置いた。
 然しそんな、不自然な気遣いをされてもされなくても、土方は銀時以外の人間もいる家で、二人きりの時の様な切り替えがいきなり出来る様な器用な質ではないのだ。借りてきた猫。そんな言葉の方が寧ろ相応しい。
 神楽は風呂に入っている。新八は台所。定春は神楽の部屋でもある物置で寝ている。途端に静かになる居間で、土方はまだ少し落ち着かなさげにしながらも、煙草を吸いはしなかった。こちらも一応は気を遣っているのだろうか。代わりの様にお茶を小刻みに口へ運んでいる。
 会話も途絶えて仕舞って、雨の音だけが昼間でも薄暗い室内にただ響いている。時折軒に溜まった雫が落ちて大きな音を立てる事ぐらいしか、静かな部屋を揺さぶるものはない。
 否。一つだけあった。先頃つい仕舞おうとした言葉が。
 「……で、だけど」
 「…あ?」
 突如ぽつりと吐き出された銀時の、全く意味を成さない様な言葉。土方は何か余所事でも考えていたのか、一瞬間を置いてから疑問符と訝しげな目を向けて来る。
 「その、花火大会の花火大会だよ」
 「あ…、あぁ」
 「オメーも一緒にどうかって」
 言葉は、するりと酷く呆気なく口にした風を装った割には、少々慎重すぎたかも知れない。直ぐ横でこちらを見ている土方の口がまるく、「は?」の一音を形作るのが解って、何だか居た堪れない空気を感じる。
 花火大会に土方を誘う。
 その思いつきは、今日偶々土方が雨宿りにと連れて来られたから出たと言う訳ではなく、以前から考えていた事であった。
 と言っても思いつき自体は軽いものだったので、アレ?それっていわゆるデートのお誘いと言う奴では?と直後に気付いて仕舞った己を銀時は思わず呪った。自分で自分の思いつきにハードルを上げてどうするのだと思うが、時既に遅く。
 断られるとか失敗するとは思っていない。だが、良い歳をこいたオッさんが、一緒に花火を観に行こう、なんて、一体どんな顔をして切り出せば良いのか。デートだ何だと意識しなければ良いのだが、一度思い至って仕舞えばもう、どう取り繕った所で、一緒に花火見物と言う言葉にはデートと言うルビが振られて仕舞う。
 そうして言い出せない侭に幾日と経過し、花火大会が明後日に迫った今日になって、土方が家に来る事になった。その偶然を利用しない手はない。花火見物と言う名のおデートに誘ってみよう。そう思ったのだが。
 そうして銀時が漸く紡いだ誘い文句に、ぽかんとした顔を作った土方はと言えば。
 「…残念だが」
 「………」
 あっさりとそう言ってかぶりを振る。よもや、断られると言う想定の出来ていなかった銀時は軽くパニックを起こしそうになりながら、
 「あー、うん、そうだよな…」
 と掠れた声で呻いた。イヤイヤイヤ、そうだよなって何だ、何を納得しているのだ己は。内心でぼやく。
 「あぁ、いや、そうじゃねぇ。行きたくねぇとかじゃなくて、仕事なんだよ」
 「え…、」
 偶然にだろうか、そうだよな、と言う銀時の意図を見失った肯定に、そうじゃねぇ、と否定で返された事で、反射的に思考の余裕が戻って来る。それと同時に、土方の職業、仕事と言って思い当たりのあるあれこれが脳裏でぱっと形を作った。
 だから先頃、縁日があちこちで開かれると言った事を嫌そうにぼやいていたのだ。
 思えば、どうしてこれを失念して仕舞っていたのか。結びついた答えに、余りにも当たり前の答えだと言うのに──それをすっかりと忘れて仕舞う程に、土方が誘いに応じてくれるものだと思い込んで仕舞っていた事が、自信が、恥ずかしい。
 「警備があるんだよ。他星のお偉い方も観に来るってんでな。ったく、こっちのがてめぇのプチ花火大会より余程面倒臭ェってんだ」
 真選組は今の江戸に残る、未だ比較的大きな規模と戦力を有した警察組織だ。当然だが、戦争が終わったと言った所で世界から全ての争いの火種が消えた訳ではないのだ。他星の要人の警護と言うのは、真選組の負わねばならない重要な役目の筆頭でもある。
 それを綺麗に頭から取り落として仕舞うとは、恋を知って盲目になったどころの騒ぎではない。ただの色ボケだ。
 「……ソウデスネー」
 「何だその棒読み」
 「何でもないデス…」
 勢い込んで漸く言葉を搾り出してみればこの様だ。土方にはまずバレてなどいないだろうが──何しろこう言った事への鈍さは随一の男である──、恥ずかしくて堪らなくなった銀時は態とらしい咳払いをしつつ、俯く事で熱くなった顔を誤魔化した。
 「……とにかく、だ。ガキ共に慕われてる内が幸せだろ。余り大人気なくぶうたれてねェで、思い切り楽しんでやれ」
 俯いた銀時が、デート(と言う認識が土方にあるかどうかは解らないが)を断られた事で落ち込んで仕舞ったと思ったのか、土方は彼が少しばつの悪い時によくする様に、少し説教っぽい言い方で優しい言葉を口にした。
 「………わぁってら」
 別に落ち込んだ訳ではないのだが、そこに甘えさせて貰う事にした銀時は、必要以上に落ち込んでいると取られない様に小さく息を吐いた。頭を掻く。
 (そもそも、こいつの仕事を失念するぐらいに、それ以外で絶対に誘いが断られる事はねぇって自信満々だった自分が何よりも恥ずかしいだろ畜生)
 どうしてそんなにも自信たっぷりでいられたのか。デートとしか言い様のないだろう誘いが、叶うから、恥ずかしくて言い出し難かった、などと。
 平然と座って、手はテレビのリモコンを何でもない様に操作などしているが、銀時の内心はぐるぐると、考え出すと吸い込まれるばかりのとんでもない袋小路に追いやられた様な心地であった。
 そんなに、所謂ところの『オツキアイ』が始まって、自分は好かれているから大丈夫などと自信たっぷりで居ただろうか。
 否、寧ろ逆であった気さえする。いちいち、好かれているのだと言う要素を思い出しては噛み締めていないと、容易く失われるのではないかと、どちらかと言えば思っていた気が、する。
 では何故なのだろうか。そこまで銀時が考えた所で、神楽が風呂から上がって来た。新八も、アサリの砂抜きと言う『理由』をもう終える事にしたのか、襷掛けを解きながら戻って来る。
 「チャイナ、花火大会に行くんだって?」
 銀時が何かを言うより先に、土方が口を開いた。ソファに座った侭の彼の表情は柔らかく、少し笑っている。
 「そうアルよ。…あっ、ひょっとしてお前も一緒に行きたいアルか?」
 「生憎と仕事でな。そうじゃなくて、今天気予報で、明後日は晴れるらしいってやってるぞ」
 「本当アルか!」
 土方がTVを指さし言うと、神楽はぱっと素早い動作でTVの前に貼り付いた。小さな画面の中では丁度、結野アナがスタジオのキャスターと、明後日に開催を控えた花火大会についてを話している。
 「良かったね、神楽ちゃん。そうそう、姉上が花火を知り合いの伝手で買っておいてくれるってさ」
 「おぉ〜!でかしたアル、新八!」
 首からかけたタオルを振り回して喜んでいる神楽の姿は、ここ最近よく見られた、少し大人びたそれとはまた少し違う。かと言って、子供の頃のそれとも少し違う。
 また、いつか感じた寂寞とした思いが胸をそっと締め付けた。そして、そこで銀時は気付いて、笑う。
 土方が、誘いを断る訳などないと確信していた理由は、単なる恋心への自信だけではなく。
 銀時は目をそっと細めて、TVを指さして穏やかに笑う、神楽と、新八と、土方とを見つめた。きっと自分も、今までずっとこんな光景の中で生きて来たのだ。だから。
 (好きな奴が、ここに、こんなにも当たり前に居て呉れるって事が──、)
 そっと目を閉じる。耳を澄まさずとも聞こえる、賑やかな笑い声の混じる居間の外で、雨の音は徐々に途切れようとしていた。







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