風雨臥し聽くその夜闌けに / 8



 天気予報は今日も矢張り正確だった。夕刻までには上空に少し漂っていた雲も途切れ、昼間であれば燦々と陽光の降る晴天であっただろう、黒さの強い空が日没を迎えた頭上に拡がっていた。
 そこに次から次に打ち上がる火薬玉の種子が、火で出来た華を絶え間なく咲かせている。その度地上の人々は歓声や感嘆を上げてあちらこちらで漣の様なざわめきが拡がっていく。
 江戸湾の水面も穏やかなもので、鏡面の様なそこに朱や金の照り返しを花弁の様に揺らめかせ、目を何処に向けてみても光の残像が目蓋の裏に残る程に眩しくて美しい。
 「ほう…これは、素晴らしい」
 夜空を万色に染める大輪の花が咲き誇る度、足を止めていちいち感嘆の言葉を寄越して来る護衛対象を前に、土方はそろそろ、正直うんざりとし始めていた。
 「慰霊と言う習慣に、花を捧ぐ文化は、宇宙でも珍しくはないですが、地球のこの、火で作られた花と言うのは、美しく、果敢なく、胸を打つものですね」
 「そうですね。なればどうぞ、お船の方へ。より近くの特等席で観覧出来る様に設えて御座いますので」
 土方の、事務的なばかりで殆ど愛想の無い物言いに、後ろを歩く山崎がこっそりと溜息をつくのが聞こえるが、無視。何しろまだ後ろがつっかえているのだ。如何な護衛対象のVIP様と言えど、次々事務的に『出荷』しなければとてもではないがやっていられない。口元がほんの少し営業用に笑みを形作っているだけでも褒めて貰いたいぐらいだ。
 「おお、それは、楽しみです」
 異星から来たと言う大使は、独特な水棲生物に似た顔の作りから表情は解り難かったが、大きな仕草で「楽しみ」と言う表現をしながら土方に促されて歩き出す。良い人(?)なのは確かな様だ。その交わす言葉はタイムラグなく遣り取り可能な翻訳装置を用いていて、片言ではあったがいちいち通訳を介さないで済むだけ楽だった。
 水の上から打ち上げられる花火を最も至近で観賞するに適しているのは、矢張り船だ。政府主導のもと、招待した異星のお偉い方やお金持ち方をもてなす為の屋形船屋が大量に動員されており、親しい間柄の者らを──政治的な遣り取りが混じる事も想定し──まとめて乗船させているのが殆どだが、中には一組で一艘を使っている事もある。予め混雑緩和の為に乗船場を幾つにも分けていたのだが、それでも水上は渋滞の様相を呈して仕舞っている。次々に捌かなければやっていられないと言うのは、誰も彼も同じ様であった。
 空に関しては、花火区間の空域の飛行を今日は全面禁止にしてある。船舶が多いのと、騒音がするのと、安全管理上の問題と、何より花火眺望の観点からの判断だ。
 少し離れた禁止外空域では小型の民間飛行艇が幾つか飛んでおり、合法的な空中楼閣を示す朱色の提灯たちが町の頭上を漂っていた。あの距離では花火など殆ど見えないと思うのだが、まあ元より祭りに便乗しただけで、そう言う意味合いでの営業では無いのかも知れない。
 戦後の江戸では以前より天人が再び増えて来た事もあって、また焦臭いテロ活動めいたものが散見される様になった。直接的な暴力に及ぶケースは稀だが、デモ行進やらストライキ集会やら、加熱すれば危険に充分及ぶ可能性のある活動は逆に活発になっており、警察側もまだまだ警戒を緩める訳にはいかないと言うのが正直な所であった。
 過剰な暴力や武力で取り締まり難い所に持って来て、昨今では屁理屈と言う名の論理武装をした者たちも増えて来ており、そう言った集団は危険思想の温床にもなりかねないのでより気を配る必要がある。
 今ではもう、刀で取り締まる現場の出来事の方が少ない。警察組織も、起こった犯罪を取り締まる方向性に舵を切り始めており、今まで刀で斬れば良かったレベルの事柄は、政治レベルで解決しなければならない世の中の問題となりつつあった。
 世界は大きく変わる最中なのだと、土方は思う。己があれ程までに欲していた居場所は、きっとそう遠からず、向こう十年やそこらの間には無くなって仕舞うだろう。
 ただ、若かった頃に漫然と感じていた、変化と言う現象に対する不安や恐れと言うものは随分と減った様に思える。蛹の眠る揺籃の時間の様に、ただただ日々を心穏やかに、気構えと整頓とをしながら、じっと座して待てる程度には落ち着けている。
 今日の要人の警護と言う任務も、今までであれば突如暗がりから刃物や爆発物を持って走って来るテロリストを警戒していたものだが、要人をとっとと船に乗せて行くと言う作業以上のものを考える事は殆ど無かった。途中何度か、酔っぱらいをあしらったり、抗議活動だかで河口の土手に居並んだ酒臭い連中を追い払ったりした程度である。
 「それでは、ごゆっくりお楽しみ下さい」
 「ありがとう、楽しませて貰います」
 先頃の要人を、船に乗船している護衛専門の部署の人間に引き渡して一礼をした土方は、遠ざかる船をきっかり三十秒間見送ってからさっさと背を向けた。
 「山崎、次は」
 「第三駐車場にそろそろ某星王国の第四王子──の甥に当たるご夫婦が到着されます。あと二十分ぐらいですかね。順番から行けば次は某連盟星団の副議長殿の予定でしたが、こちらは渋滞に巻き込まれた様で、もう少しかかりそうです」
 手にしたタブレット端末を器用に操りながら言う山崎に一つ頷くと、土方は耳にはめた無線のスイッチを入れた。
 「対象12番より13番が先になった。見積もり猶予は二十分。船着き場の交通整理を頼む」
 短く告げると、無線の向こうで部下がうんざりとした調子で《了解です…》と返して来る。船着き場周辺の水上で、乗船客待ちをしている船影はまだ多い。地上の交通整理より余程面倒な遣り取りの必要なその様子を思えば同情もしたくなったが、上司と部下と双方でぐだぐだとしても仕方がない。
 「気ィ引き締めろ。今は任務中だ」
 《は、はい!》
 努めて硬い声を作って言えば、慌てて声を張り上げた部下がぴんと背筋を正す姿が見えた気がした。無線のマイクを切ると土方は、タブレットをいじりながら自身も無線で関係各所と遣り取りをしている山崎の方を振り返った。山崎は元より剣の腕よりもこう言った裏方仕事に向いている男ではあったので、その様子に余り違和感はない。そのやっている事はと言えば、監察と言うよりはどこぞの旅行会社のアテンダントの様なのだが。
 今回の任務は、乗船場所の分散と言う事情もあって、土方は各隊をそれぞれの乗船場に分散させて、それぞれで護衛任務に対応させる事にした。護衛の責任者は各隊の隊長クラスの人間の仕事だが、彼らは土方とほぼ同じく、腕っ節の強い現場一辺倒タイプの者たちだ。因って各隊に事務方から連絡中継係を選任して配した。慣れぬ組み合わせに慣れぬ仕事だが、今の所特に大きなトラブルは起こっていない様で幸いだ。
 本来であれば腕っ節自慢がメインの役所である真選組だが、今回は護衛対象の居場所が船の上と言う狭い所である事も手伝って、刀は余り有効ではないと判断され、乗船以降の警備は帯銃をした別部署の担当となっている。つまりは船に乗せるまでの護衛が仕事と言う訳だ。然しそれもまた、腕っ節よりは事務的な遣り取りの方が要されている。
 それでも土方はまだマシな方であろう。真選組の裏方仕事や事務仕事を日々こなして来ただけあって、幾分柔軟に対応出来て居る。気がする。
 大人とは自然と自分の形を周囲に合わせて変えて来た子供とは異なり、それがし難くなって仕舞う生き物だ。年を経るだけ自己の意識や感情がより強固に形成されていくのが普通だから、基本的に年を取れば取るだけ変化と言うものへの対応が下手になって行く。
 然しもっともそれを不得手としているのは、子供でも年寄りでもない。
 「総悟は?」
 土方は辺りを見回しながらぽつりと呟く様に問う。一番隊は腕っ節重視と言う側面から、特に腕の立つ者達は各隊に分散させ、隊長である沖田は最もVIPの人数の多いこの乗船場の警備にやらせていたのだが、どうも姿が見当たらない。
 「そう言えばいませんね…。持ち場を離れてはいないと思うんですが…」
 「またサボってやがんのか、あいつは」
 溜息混じりに言って、土方は周囲を見回した。ここは湾に程近い河口だ。乗船場の近くにある土手には自治体が設置した花火見物の席のスペースがあって、そこまでが一応警備範囲で、屋台も数多く並んでいた。
 「ちょっと姿が見えないからってサボりと断定するたァ、とんだパワハラ上司ですねィ」
 「っ!!」
 大方その辺りを冷やかして回っているのだろう。そう思って沖田を探すのを諦めようとした土方の背筋が、背後から掛けられた冷ややかな声にぞっと粟立つ。まるで刀でも突きつけられているかの様な気配を感じた気がして慌てて振り返れば、そこにはりんご飴を片手に持った沖田が立っていた。
 「ッおま……、持ち場を離れる時は連絡しろって何度言わせんだ」
 気配消して殺気全開で近づいて来るんじゃねぇ、と叫ぼうとした抗議の声を何とか呑み込んで、土方は内心の動揺を誤魔化す様に咳払いをした。
 無論正しくそんな事はお見通しなのだろう沖田は、然し無用に土方の寸時見せて仕舞った隙を突き倒して遊ぶでもなく、りんご飴を舐めながら肩を竦める。
 「大した時間離れちゃいやせんよ。任務中でしょうが。気ィ引き締めまくってますぜィ」
 沖田が拾って見せた言葉は、先頃土方が無線で部下に告げたものだ。つまりはその頃から比較的に近くに──少なくとも声の届く範囲には居たと言う事だ。
 暗がりからじっと観察する様に見ていたのだろうか。変化を受け入れようとしながら、腰の刀を持て余す様な任務についている土方の様子を。
 「って言うかそんなもん食ってる時点で立派にサボってんじゃねーか!何がパワハラだ!」
 仄暗くなりそうな思考を振り切る様に、いつもの様に声を張り上げると、そこで漸く沖田は彼特有の、人を(主に土方を)舐めきった様な飄々とした表情を浮かべた。
 「糖分補給でさァ。何分慣れねェ頭使わされる事も増えたもんで」
 「……」
 変化を最も不得手としている年頃である、沖田の表情は見慣れたそれであったが、その口から放たれる言葉は単調で、説教じみた口を挟む事を躊躇わせる何かが潜んでいる。土方は続けようと思っていた余り意味のない、喚き立てる類の言葉を吐き出し倦ねて、代わりに溜息をついた。
 思春期は丁度自我の明確に形成される時期である事が一般的に多いとされる。子供ほどに変化に柔軟ではいられず、大人ほどに頑固でもいられない。だが、変化と言うものを恐れて立ち竦んで仕舞う。
 変化と言う世界の不条理を、諦めを以て迎合するか、頑なに抗うか、恐れて傍観に徹するか。恐らく沖田は真選組の他の誰よりもそれを肌で感じて、遠からず訪れるだろう岐路を見つめている筈だ。
 どん、と一際大きな音が鳴って、沖田と土方はほぼ同時に海の方を見た。真ん丸の巨大な花が、水平線のすぐ上で大きく開いて、きらきらと雲母の欠片の様な光を振り撒きながら散っていく。
 忽ちに沸き起こる大きな歓声に、咄嗟に身構えそうになるのを堪えて身を竦めた土方の背を肘で小突く様な仕草をして、沖田が笑う。
 「全く、いつになっても土方さんは心配性でいけねーや」
 「………言ってろ」
 心配性と言う言葉が果たしてどこにかかるものと考えるべきか──寸時考えかけた所でかぶりを振って、土方は幾らか皮肉に繋がりそうな思索を放棄した。
 (勝手に一人で大人になった様な面しやがって)
 どこぞの万事屋稼業の男であればそれをもっと上手く言い表せるだろうか。程良く突き放さずに、寂寞感を宥めてくれる様な、大人の欲する気休めと言う言葉で。
 生憎と土方にはそれを明瞭に形に出来る様な言葉は(少なくとも咄嗟には)浮かばなかったから、ふんと態とらしい息を吐いて、ただ黙って沖田の背をぽんと叩いた。
 これから次々訪れるだろうめまぐるしい変化の中で、果たして自分たちはどう変わって行くのだろうか。真選組と言う形がいつか失われたとして、その志だけを抱えて、どこまで行けるのだろうか。
 (何が心配性だ。臆病者みてェな言い種で)
 ちらりと携帯電話を開いて時間を確認すると、そろそろ次の護衛対象──ほぼ車から船へ移動させるだけなのだから寧ろ護衛と言うか護送とか移送なのではないかとは思わないでもない──が到着する推定時刻が迫っていた。
 「山崎」
 「あ、はい。そろそろ向かわれた方が宜しいかと」
 無線に手を当てながら言う山崎に小さく頷いた所で、土方は夜空に再び轟音と共に打ち上がる大輪の花火を見上げた。音に誘われたのか自然と足が止まっている。
 「綺麗ですよね。こんな時にこんな大変な仕事って、警察って無情ですよね。幾ら特等席で見放題って言っても、ゆっくり空を見上げている余裕も無いんだから」
 すかさず言って寄越す山崎も、土方の視線を追う様にして花火を見上げていた。その事で漸く土方は、自分が先頃の大使と同じ事をしていたのに気付いて、「そうだな」と苦々しく吐いた。
 「総悟、それ食ったらちゃんと警備に励めよ。何事も無ェとは思うが、無ェ様にするのも仕事だ」
 「へェ」
 わかってまさァ、と蜜で固められた飴を手の代わりにひらひら振って寄越す沖田の背を振り向いた土方だったが、続きそうになる悪態は何とか呑み込んだ。時間が正直惜しい。
 無線のスイッチを入れて、目的地の駐車場の様子を確認しながら早足で歩く土方を、殆ど小走りの速度になりながら山崎が追って来る。
 その背後で花火が次々に打ち上がる音は聞こえていたが、もう土方が足を止める事も振り向く事も無かった。







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