ゆめのすこしあと / 4



 気怠い昼下がりだった。依頼は無く財布の中身も無く何か心を煩わせる様な鬱積も無く、家賃は滞納しているが借金は無い。気怠く、そして平和で何事も無い一日の後半である。
 依頼も当面の困り事も無ければ、する事も無い。パチンコに行こうにも生憎と手持ちが心許ない。
 「無ェ事尽くしだが、団子は変わらずある。良い事だねェ」
 「タダで食える団子は無ェぞ」
 野点傘の下から天を仰いで言う銀時の耳に刺さる辛辣な響き。見遣れば、団子屋の親父が腕を組んで呆れた様な表情で銀時の姿を見下ろして来ていた。どうやら昼間から怠惰に店先の席に座り込む銀時の様子から、既に慎ましい懐事情は知れているらしい。
 「タダでなんて言う訳無ェだろ。ツケで」
 無論、タダでちょっとした小腹を満たす甘味にあやかろうと思っていた銀時である。親父の洞察力に内心舌打ちせんばかりだったが、表情には出さずひらりと手を振ってみせる。
 「そのツケが払われた試しが殆ど無ェってんだよ」
 親父の洞察力が優れていたと言うより、日々の積み重ねだった様だ。とは言え、ツケ、と脳内で転がして見る言葉に返る記憶は、飲み屋にならともかく団子屋では無いも同然だったのだが、そんなにしょっちゅうタダ食らいをしていただろうか。…していたかも知れない。尤も、団子の代金を考えれば嵩んだとは言え小銭程度の筈なので、銀時がしばしば無料団子(タダメシ)にあやかっていた所で親父も特別強くは言わなかったのだろう。多分。
 「今度倍にして払うから、一皿で良いから出してくんない。もう腹減りすぎて財布も開けねェ」
 「腹一杯でも開く事の無ェ財布なんざアテにするもんかい」
 「どうせ客もいねェんだろ、団子だってただ腐るよか誰かに食って貰った方が喜ぶって」
 最早腹具合よりも意地で食い下がる銀時の情けない言い種に、親父は肩を竦めて店を振り返ってみせる。その動きを追って見れば、店先の縁台には確かに銀時一人しか座っていないが、店の中には珍しくも人影が見えた。客らしき者が居る様だ。
 「生憎今日は繁盛してらァ。さ、こちとら忙しいんだからいつまでも店先でぐうたらしてねェでコレ食ってとっとと帰んな。で、腹が脹れたんなら偶にはまともに働きやがれィ」
 眉を寄せる銀時の横にひょいと団子の乗った皿を置くと、親父は忙しい忙しいとぶつぶつぼやきながら店の中へと戻って行って仕舞う。あからさまな照れ隠しの早口と皿の上の団子とを交互に見遣って、銀時は苦笑した。無い事尽くしの中にも人情の一欠片ぐらいはあった様だ。
 (にしても、これは奢りって事で良いのか、それともツケって分に嵩むのか)
 親父の人の良さは、単なる人情ばかりではなく銀時への信用と言う意味も多分に含む。まあ憶えていたらその内払おう、と思いながら、銀時は皿の上に鎮座している団子の串へと手を伸ばした。
 みたらしも餡もきな粉もかかっていない、素の侭の団子だ。頼めば色々と付けてくれるが、これがこの団子しかない店の中でも一番安く一番人気の一品だ。団子自体に甘い味が付けられているからこれだけでも充分満足だし、それでいて仄甘い味わいは飽きが来ない。
 串の一番上の団子を歯で摘んで、串から引っ張る様にして口中に頬張れば思わず目蓋が下りる。やっと恵んで──かツケてか──貰った貴重な団子だ、一つたりとも無駄に食すつもりはない。我ながら貧乏くさいとは思うが、と言う思考を咀嚼の合間に舌上で弄んでいると、不意に団子の皿を挟んだ銀時の横の席に誰かが腰を下ろすのに気付き、目を薄らと開く。
 顔は正面を向いた侭。最初に視界に入ったのは黒い色彩。次いで、こと、と鞘が毛氈も敷かれていない木製の縁台に当たる音。
 思わず眉を持ち上げかけた銀時だったが、最後に栗色の頭が視界に入った事で留まった。
 「親父ィ、隣の旦那と同じ団子一皿頼まァ」
 「あいよォ」
 新たな客を発見して店先から顔を覗かせた親父にそう声を掛けてから、横の銀時からの視線は感じているだろうに、何でも無い様な風情で足を組んで座った公僕姿の少年は態とらしく肩を鳴らす素振りをしてから、ゆっくりとその無表情の頭を向けて来た。
 「どうも。調子はどうですかィ」
 奇遇である筈なぞ端から除外した様な声音で言う沖田に、銀時は軽く顎を引くのみで応える。口の中は生憎と団子を味わう事で一杯なのだ。調子が良いも悪いもない。
 「昼飯後の時間てのはサボりたくなっていけねェや。旦那もそう思いませんか」
 「サボりてェんならもっと目立たねェ所でやった方が良いんじゃねェの」
 気易く言って来る沖田に、ごく、と団子を呑み込んでから、銀時は余り態とらしくならない様に付け加える。
 「お宅んとこ怖い鬼が出るみてェだし?」
 そう、少しばかり意地の悪そうな含みを持たせて口にした言葉に、一瞬だけ沖田の目元がぴくりと震えた。口は開かない。ただ、銀時の方を見る眼の向こうに寸時何かの感情が揺らめいたのが見えた気がして、思わず眉を寄せる。
 (…………何だ?)
 それは不自然、と表現するには余りに微弱な、変化にも満たないほんの僅かの表情筋の動きに過ぎない。様に見えた。
 だが。
 「……ですねィ。最近、ただでさえ機嫌が宜しく無ェみてェで」
 言った沖田はちらりと店内へと視線を走らせた。切れ味は悪そうだが少しばかり鋭い。それに反応した訳では無いのだろうが、程なくして団子の皿を持った親父が店先に顔を覗かせると、沖田の横に団子の皿と茶を置いて行く。
 「機嫌が悪いも何も、部下がこうしてサボってんの見たら普通に怒るんじゃねェの」
 件の鬼さんの高血圧な怒り顔を脳裏に描きながら言う銀時にちらと視線を走らせると、沖田は「そうですねィ…」と何故か妙にしみじみとした調子で呟きながら団子の串を摘み上げた。一つ、二つ、と咀嚼する様子には、銀時の様に味を惜しむ風情はまるで無い。
 「……何。喧嘩でもしてんの、お宅ら」
 暫く考えた後、銀時は虎の巣穴に手を突っ込む様な心地でそう問いを発してみる事にした。
 沖田は『鬼』さんの事を話題に出された事に対し、明かに何かを──強いて言えば不快か不可解かと言った感情を隠す事に失敗していた。それを問うのは果たして自殺行為か過分なお世話か。
 「…………」
 案の定か、沖田は尖った団子の串の先にじっと視線を落として動きを止めた。が、それも僅かの間の事で、次の瞬間には何事も無い様に団子の最後の一つに横から齧り付いている。
 「とんでもねェです。俺と土方さんとは常にニコニコ冷戦状態ですぜィ」
 (一方的に冷え込んでるのは冷戦て言わねェんじゃないかね)
 反射的にそんな事を思うが、口に出さない程には銀時は賢明であった。もぐもぐと、漸く団子の味を味わうと言う作業を思い出した様に顎を動かしていた沖田だが、やがて嚥下と同時にゆるりと嘆息した。この少年にしては珍しいとも取れるだろう、どことなく疲労──か、はたまた安堵か──を感じさせるその質に、銀時は密かに眉を寄せる。
 (こりゃ完璧に何かあったやつだな…)
 原因は恐らく、銀時と沖田と両者の間で『鬼』と言う共通認識で呼ばれる男に纏わる何かだろう。その話題を予期せず振って仕舞った銀時としては、藪をつつく前に蛇が勝手に飛び出して来た様な心地にもなろうものだ。
 (……まぁ…、気になってたのは事実、だけどな)
 思い直せば不承不承に溜息がこぼれる。こちらは沖田のものとは異なり、深刻ではない程に気が重くなった故だ。
 余り大きな声では言えない話なのだが、折り合いの悪さで周囲に知られている銀時と土方との間にはひとつの秘密があった。否、秘め事の共有者、と言うべきか。
 ざっくりと言うなれば所謂セックスフレンドと言う関係に近いのだと思う。都合が合えば落ち合って、ヤる事をヤって、それで何事も無く別れる。互いに弁えた大人の男同士だ。過分に情を注いで雁字搦めになる類でもなく、後腐れもなく、況してや互いを嘲笑いもしない。ひとつの目的に於いてそれは理想的な関係性、と言えたやも知れない。
 
 銀時がそこに、過分な情と言う奴を見出して仕舞いさえしなければ。
 
 「『鬼』の不機嫌に、旦那には何か心当たりねーですかィ」
 不意に横から投げられた沖田のそんな問いに、銀時の反応は僅かに遅れた。「へ?」と声に出しそうになって瞬きを繰り返しながら振り返る。
 「それこそ、喧嘩でもしたとか」
 「喧嘩も何も、俺と野郎はいつもそんな感じじゃん?つーかあっちが勝手に寄るな触るなみてーな感じで突っかかって来るだけじゃね?銀さんは大人だからね、そんな子供みてェな喧嘩とか馬鹿らしいと思ってんのにあいつが、」
 つらつらと流していたその途中でふと我に返り、銀時は煩わしげな動作で肩を竦めてみせた。別に沖田に件の銀時と土方との『秘密の』関係性を探られた訳でも悟られた訳でも無いと言うのに、少々むきになりすぎたかと胸中で舌を打つ。沖田の問いには含む所など特には無いかも知れないと言うのに、これでは逆効果だ。
 「……まあ兎に角、それァお前らの話だろーが。俺にゃ関係無ェし心当たりも無ェよ」
 相手に鬱屈を溜めさせる様な喧嘩が出来る程仲も良くない、と言いかけた言葉は呑み込んで、銀時は一息にそう言って団子を囓った。仄かに甘く歯の間で良い弾力を伝えて来る筈の団子が何か酷く味気無いものの様に感じられて咀嚼もそこそこに喉に追い遣る。
 銀時が土方に最後に会ったのは随分と前の話だ。特に約束が無くとも落ち合う決まり事の様になっていた店にそれから幾度となく足を運んではいたが、忙しいのか気分ではないのか、土方がそこに姿を見せる事は無かった。
 所詮はセックスフレンド、か、それ未満の関係だ。自然消滅を望むならば銀時には止める権利など無いのだし、かと言って追い縋る程素直にはなれそうもないのだ。色々気を揉んだ所で。こうして横に座った彼の部下にこっそりと様子を探る様な話題を振ってみた所で。
 いつしか──否、恐らくは端から──心に抱いて仕舞っていた『過分な情』も、土方が望まず目の前から去れば何れは消えるのだろうと、銀時はそんな曖昧な理解を既に感じ取ってはいる。
 思えばこそ言い聞かせる様に反芻するそんな感情に蓋をした銀時の横顔を、沖田は暫くの間然程も熱も無さそうなぼやりとした眼差しで見つめて来ていたが、やがてはするりと自然な所作で視線を外した。
 「まぁ別に旦那に何かあると思ってた訳じゃねェですが」
 「いや明かに旦那に何かあると思ってた目だよね今の」
 「心当たりが無ェんなら良いんでさァ。見込み違い…いや、見当違い…、いや単なる勘違いなだけなんで」
 「…………ふぅーん。何か知らないけど失礼な見方されてたらしいってのは解った」
 珍しく早々に白旗を上げる沖田に噛み付いてみせながらも、銀時の内心は穏やかとは到底言えたものではない。が、果たして沖田にとってはそれすらも端からどうでも良い事だったのか、彼はのんびりと二本目の団子に手を出し始めた。それを横目に、銀時は持った侭だった串をそっと皿へと戻した。茶が欲しい所だったが、タダで団子は供してくれても茶までは許されなかったらしく、手元には喉を穏やかに潤してくれそうな甘露の存在は無い。
 仕方無しに顔をだらりと眼前の雑踏の方へと投げた時、再び銀時の視界に黒い影が入り込むのが見えた。「ち」と沖田が小さく舌を打つ音が聞こえる。
 「総悟、てめェな…、」
 ざり、と革靴の底で地面を踏みしだく音が、団子屋の──その店先で一服する部下の元へと近付いて来る。彼の裡の苛立ちをその侭音にした様な乱暴な靴音に、誘われて銀時はそちらに顔を振り向かせる。
 「今日は警備の下見があるから午後イチで屯所に戻って来いっつったろーが!んな所でサボってんじゃねェ、とっとと戻るぞ」
 久々に見上げた土方の顔は大凡健康そうとも健全そうとも言えないものだった。苛々と噛み締めたのか、少しひしゃげた煙草をくわえる口元が怒鳴り声を上げるのに、横の沖田は我関せずと言った調子で空惚けた視線を宙へと游がせている。そんな部下の様子を前に、溜息と怒声の丁度中間の様な大きな息継ぎをひとつすると、ぐしゃりと自らの黒髪を引っ掻く様な仕草をして、土方は一言だけ、
 「総悟」
 そう、聞き分けのない子供でも咎める時の様な呼び声をその場に落とした。それを受けて沖田は、やれやれと言った加減を示す様に肩を竦めてみせてから銀時の方を振り向き口を開く。
 「……てな訳でして。おちおちサボってもらんねェ訳でさァ」
 「て訳も何も。サボってんのを咎めるのは鬼さんの平常営業じゃね?」
 言って、同意かはたまた忌々しげな目か、求めて土方の顔を見上げた銀時は、そこで予期せぬ表情に遭遇した。
 「──」
 目を見開いた土方の表情は、果たして銀時の期待した何れの反応とも異なったものであった。収縮した瞳孔の中に、今初めて銀時の存在を認識した様に映し出されていたのは、有り体に言って──、
 「……先行ってる。総悟、てめェも早く来い」
 ふい、と不自然な程に顔を素早く背けると、土方は来た時同様に重たく苛立った足音を引き連れて歩き去って行く。
 (………え?)
 呆気に取られて銀時は瞬きを繰り返した。
 何だ今の。何だ、今の、面。
 困惑を抱えた侭で沖田の方を見れば、彼は銀時の惑いに同意を示す様に肩を聳やかしてみせた。かぶりを振る。
 (機嫌が悪い、っつーか…、)
 見開かれた黒瞳の中に映っていた感情の正体を探り掛けて、銀時は不可解さに眉を顰めた。その横で、やれやれと呟き一つを残して沖田が立ち上がる。
 「全く。みっともねェ」
 ぽつりと、街路を逃げ去る様に進んで行く背中に向けて沖田の吐き捨てた言葉は、今までのどんな罵倒よりも余程静かで、だからこそ辛辣に響いた。
 「どうやら本格的に勘違いだったらしいです。
 旦那ァ。団子、勿体ねェんで残りもんですが良ければどうぞ。つまんねェもん見せてすいませんでしたねィ」
 皿に一本だけ残った団子を示して言うと、沖田はその横に団子二皿分に少し余る程度の小銭を置いて、刀を佩き直した。
 「……つまんねェもんって言うか…、アレで俺が何か疑われた訳?」
 喧嘩とか。はたまた何かがあったとか。見込みだか見当だか知らないが、その原因として沖田が銀時に何か思う所を持ったのは最早改めて問う迄も無い事だろう。
 銀時の純粋に不可解な疑問に、然し沖田は「さてねィ」と困った様に肩を揺らしただけだった。
 その侭少ない雑踏の中に二人目の黒い制服の背中が消えて行くのを暫し茫然と見送ってから、銀時は自らの足下に呻き声を落とした。生じたのは疑問よりも余程明確で、不可解な感情。
 (……………………疑うも何も。あんな面させる思い当たりなんざ、ある訳、)
 無い、と転がした口中が苦い想いを噛んで、我知らず唇が歪められた。
 (あんな、)
 収縮した瞳孔の中にあったのは、驚いた様に見開かれた眼にあったのは、狼狽した表情の中にあったのは──、
 (なんで、あんな、化け物でも見た様な、)
 恐れる様な、表情。
 「………、」
 それは、銀時が土方十四郎と言う男の内に大凡見出した事もない様な種の、感情であったと言えよう。そしてそれはどうした所で、銀時が土方に作らせられる様な表情では無い。
 確信があるのだ。仮に、剣で、暴力であの男を銀時が追い詰めたとして、その眼差しに、表情に、感情に、『恐怖』なぞ乗せられる訳が無い、と。
 相手が銀時であれば猶更。あの男は、自尊心が高く負けず嫌いのあの男は、銀時に対して萎縮や恐れなぞ抱きよう筈も無いのだ。
 故に、沖田の言う様な『何かがあった』事など、端からお門違いの想像だと言う事だ。沖田とてそれに気付いたからこそ、勘違いだったと自ら認めたのだろう。
 坂田銀時と、土方十四郎との間に『何か』の意ある関係性があれど、無かれど。『恐怖』と言う感情はそこに横たわるにしては余りにも相応しく無さ過ぎたのだ。
 「…………」
 釈然としない心地を抱えた侭、銀時は自らの爪先に向けて茫然とした心地を問いかけ、徒労を思い直しては顔を顰めて胸中で一人呻いた。
 不可解な疑問は深く広く拡がって瞬く間に不快感となり、目前に苛立ちとなって生じた。いっそ追い掛けて、捕まえて、問い質すべきなのではないかと思ってからかぶりを振る。
 そんな関係ではない。──そう。互いに何か情を通す様な関係性では無かったからこそ、シンプルで易い身体だけの埒もない関係に収まった結果があるのだ。今更銀時が過分な情を示してみせた所で、土方は益々に困惑するだけだろう。
 然しそれも、それでも、『恐怖』に値する目で見られると言う事には、憶えがまるで無いし、有り得ないと断言出来る。
 捕まえて、問い質して──そして『恐怖』を宿した眼差しに更に困惑を乗せて見られると言うのは、単純な想像の上だけでも堪えた。
 仮にもとある『情』を抱いた者に、あんな目で見返されるのなど、御免だった。
 好きなのだ、と──言いたくてもずっと言い出せずに仕舞い込んだ『情』の過分さは、銀時が己で誰よりも知っている事だった。







 :