ゆめのすこしあと / 5



 土方との出会いは──思い起こしてみた所で大凡良い出会いとは言えないものだった。そこには運命だの一目惚れだのと言った要素が差し挟まる余地も無く、有り体に見れば碌でもないものであったと言えよう。
 一言で言えば、警察と犯罪者──もとい、容疑者扱いの一般市民である。それも、真選組が名を上げその地位を盤石にすべく立ち働いてチンピラ警察の名を欲しい侭にしていた頃の事だ。そのチンピラ警察活動を推進していた筆頭とも言える副長の土方が胡散臭い容疑者に対して何か良い印象を抱いてくれたなどとは、その頃を懐かしむ今となっても到底思える筈も無い。
 そんな出会いであっても、年月の経過とそれに付随して生じた腐れ縁とは恐ろしいもので。気付けば銀時の世界に件のチンピラ警察ご一行も、土方も、気付いた時には無くてはならないものの一つとして収まって仕舞っていた。
 それは互いに何かをする関係ではない。喧嘩に、時には共闘に、何でもない日常に。ただ、その連中が、その人が居る、と言うだけの存在。だがそんなものをいつしか僥倖と、得難いものと見て仕舞った事は銀時の裡に後々まで引き摺る事となる酷い懊悩をもたらした。
 好きだが、知りたくない。知りたくなるから、好きになりたくはない。知らない方が良い。近付かない方が良い。
 特定の一所に抱く好意と言う感情は銀時にとって大凡慣れたものではなく、持て余せば余す程に仕舞う場所に困って目を逸らす他に対処のしようが解らなくなった。
 それでも、己の裡だけで抱えている感情であったのならばまだ良かった。一方的な好意らしき感情を然しそれ以上にする事も出来なかったし端から諦めてもいた銀時は、その感情に恋情と言う自覚を抱いて仕舞ってからも──否、自覚を得て仕舞ったからこそ、それをその侭一人で抱いて完結させようと思ってさえいたのだ。
 、……が。
 そんな銀時の見つめる先で土方は──彼の裡の感情は紛れも無く変わって行っていた。知れば知る程に解る。気付かされる。それは外見的なものや表層的なものではない。そんな変容だ。
 土方は──彼自身にその自覚があったか無かったのかは知れないが──、銀時に対して徐々に心を許して行く様になっていた。
 当初の敵未満の様な対立からか、敵愾心の様なものをいつでも銀時へ向ける事は憚らないその癖に、ぶつかる度に態度も心も軟化して行った。そうこうする内に土方は銀時と言う存在が比較的に近くに在る事にいつしか慣れて、それを受け入れて仕舞うに至っていた。
 それを片思い故の思い違いや都合の良い思い込みだとは思わない。好きだから、好きで、見ているからこそ、確信さえ抱いて気付いて仕舞ったのだ。
 埒もない喧嘩や言い合いや遣り取り。会話の応酬。腐れ縁と言う便利な言葉の内に隠された感情は次第に銀時の裡を満たして、抱えきれなくなってやがては溢れ出した。
 自分が土方に抱いたこの感情と同じものに土方も気付けば良いのに、と思い。思っては、いつまで経っても、待っても、訪れない変化や通じきらない関係に苛立った。収まった一定の距離からは決して近付いては来ない土方に苛立った。
 銀時に気を許して仕舞っている癖、それに気付かず──或いは認められず──に、不意な遭遇にいちいち眉を寄せては銀時の安い挑発に突っかかってぶつかり合ったりしながらも、互いに心地の良い時間を笑い合って過ごして、そしてまた元の分かれ分かれの日常に戻る。そんな、土方の置く距離感に生じた不毛の日々は少しづつではあったが銀時を苛んだ。
 片恋、として風化させようとしていた感情が──恋情が、終着点を得られぬそれが何よりも辛くて、苦しいものになって心の中に居座る様になった。
 ……だから、酷い懊悩の末に選んで仕舞った。行為としては俗物的で短絡的な事だったかも知れない。だが心の裡では散々に迷ったのだ。躊躇ったのだ。それでも結局は、今まで持ち堪えていた筈の歯止めを、怖れながら壊した。
 酔った勢いであると狡く互いに言い聞かせながら、腐れ縁と言うその関係性を自ら壊す事にした。して仕舞った。
 そして土方もまた、『酔っていた』と言う、銀時の寄越した大義名分に大人しく乗ったのだ。
 互いに触れ合う自慰行為自体がそんなにも悦いものであるとは思わなかったが、それが『秘め事』であり、土方と共有する感覚であるとなればまた話は別で。銀時は施し合う行為そのものより、その行為に没頭する土方の事を夢中になって観察した。熱い吐息も喉を鳴らすあえかな声も揺れる腰も震える手も劣情を孕んだ目元も快楽に震える性器も達する時の薄ら弛んだ表情も、なにもかも一つとて見逃すまい、取りこぼすまいと目に、脳に、必死になって焼き付けた。
 満たされて、充たされない事を何処かで解っていながらも、土方の、誰も知らぬ姿が、形が目の前の自分だけに曝され赦された事に、心は馬鹿馬鹿しい程正直に沸き立っていた。
 終わっても、互いの帰路についても、酔いなど疾うに冷めた足取りで、然し土方は何も訊かなかったし何も言わなかった。何日か後に銀時が同じ行為を今度はあからさまに誘いかけても、矢張り土方は何も訊かないし言いもしなかった。
 そして、一度箍が外れて仕舞えばそれが三度、四度と続いても変わりはしない侭。
 遂には、抱きたいと言っても、抱いても、そこに変化は何も生じなかった。
 そこで銀時は漸く己の失敗を悟った。
 なまじセックスフレンドの様な関係性が成立して仕舞った事で、恐らく土方は益々に己の内面の感情になど向き合う事が出来なくなったのではないか、と、今となってはそう思うのだ。銀時が思えば思うだけに自覚を促されて辛さを憶えたのとは逆に、土方は体の良いセックスフレンドと言う『関係性』の名前に、銀時にあらゆる行為を許して仕舞った己の感情の理由を当て嵌めて仕舞ったのではないのだろうか、と。
 互いに互いを深く知って仕舞ったと言うのに、心同士は乾いた侭決して結びつきはしない。そう『見えた』結果を失敗だったと言わずして何と呼ぶのか。
 待ち合わせや約束をする訳ではない。銀時は良く足を運ぶが、土方は滅多に行かない飲み屋に行き、そこで顔が会えば閨を共にする。そんな約束未満の予定調和の逢瀬を重ねるだけの関係。朝になる前には分かれて、互いに無関心で無関係な日常へとそれぞれ戻る、たったひとつ、身体だけしか繋げない虚しい関係。
 所詮それは銀時の片恋の侭だった。手に入れた身体なぞ互いを縛る確約にもなりはしない。埒もない。意味もない。何も無い。
 だから、土方が姿を見せなくなったと言う事は、もう良いと──もう『飽きた』と言う意味をも示すのだと、そう思った。
 そしてそうなった時にも、銀時にはそれを咎める権利も止める理由もありはしないのだ。
 恋は終わった。身体だけ歪に繋いで手に入れた気になって、それでも、
 (………無様なこった)
 涌いた自嘲の思いを苦々しく噛み締めて、銀時は胸中に染み出す苦々しいものを無理矢理に飲み込んだ。
 元々有り得ない想いと重なる筈も無い感情とが形作った関係性であり、恋心だ。醒める夢の如くに、ある時不意に手放されて終わる事ぐらい解りきっていた筈だったと言うのに。そうなったとて、当然の報いだと思える筈だったと言うのに。
 ただ、それでも一つだけ解らないのが──不快に思えたのが、先頃目の当たりにした土方の表情の正体であった。
 (何で、あんな面を)
 思いも掛けないものどころか、化け物でも見たかの様な、恐怖と狼狽と驚きと。そんなものに彩られた土方十四郎の表情なぞ、大凡銀時の知る所には無い。何度思い起こした所で、無い。妄想しようとしても浮かべる事さえ適わない。
 それだけが唯一不快で気に懸かる点だった。諦め手放されて終わるほかないと思っていたこの情の中に、無遠慮に滴った酷い汚れか何かの様な。
 無粋で、そして不快な。不愉快な。不可解な。
 ぶすりと顔を顰めた侭、残りの団子に手を伸ばす心地にもなれずに立ち上がった銀時の背に、
 「ね。何かおかしいと思いません?」
 そんな声がいきなり飛んで来た。思わず振り返れば、店内から出て来た客の姿がそこにはある。
 派手な着物と袴。それでも笠を目深に被ったその佇まいはどことなく地味で、何と言うか存在感そのものが酷く稀薄な男だ。
 「……お前いつから居たの」
 不意打ちに苦々しく忌々しいものを感じながらの銀時の問いに、「さっきからずっと居ましたよ。沖田隊長は気付いてたみたいですけど」そう答えて、地味な男山崎は先頃まで沖田の座していた場所に腰を下ろした。
 明らかに話を振って話を続ける気のあるその様子に銀時は暫し迷ったが、結局は元通りに座り直す事を選んだ。振り方を思えば明かに、内容はきっと己の今最も気に懸かる人物に纏わる話だからだ。あからさまな振りに気後れをやや憶えながらも、銀時は己の感情に正直に乗る事にした。
 「で、何がおかしいって」
 「副長ですよ。何だか後ろ向きって言うか、調子が出てないって言うか。最近不眠気味みたいですし。何かあったのかなって思いません?」
 返せば、予め考えていた台詞でも読み上げる様に淀みなく問われて、銀時は肩を竦めてみせた。疑問符を投げつけられた所で解る筈も無いだろうが、と思わず唇が尖る。
 「何、お宅副長さんのストーカーか何か?たまを追い回すの止めて上司の粗探し?局長はストーカーゴリラだし、やめてくんない、お宅ら警察がこぞって犯罪者予備軍みたいなのとか洒落になんねェんだけど」
 混ぜっ返して流そうとした銀時に、然し山崎は苦笑した。やんわりと突き返して来る。
 「真選組の副長を客観的に観察する事も監察(俺)の職務の一つですよ。副長が真選組にとって立ち行かない様な状況になった時に、それを局長に報告し是正を求める事を任されていますしね。勿論それも副長の望みだからと言う前提ではありますけど」
 存外に真っ当な答えに思わず鼻白んだ銀時は、適当に出掛かったからかう類の言葉の続きを引っ込めた。その代わりに気に懸かった一点を抜き取る。
 「立ち行かない、って」
 それが今の土方の現状だとでも言うのだろうか。あんな──銀時へとあんな表情を向けるに至る、理由だとでも言うのだろうか。自然、問う形になった言葉に、山崎はちらりとだけ銀時の方を見た。
 目元に僅か宿る、探る眼差し。唇を僅かに噛む様にして見上げて来ているのは、そんな目。
 その一瞬の表情の示す所は、話を振った理由は単なる世間話でも親切心でも何でも無く、単に疑問の解消を求めるものであるのだと不意に気付いた銀時は口端を歪めた。
 そう。それはまるで容疑者でも見る様な質であった。







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