ゆめのすこしあと / 6 容疑者、とは思ったが、別に相手が幾ら警察だからと言って、逮捕だの事情聴取だのと言った物騒なものはそこには無い。つまりこれは山崎の個人的な疑い、と見るべきか。 居心地悪く身を竦めた銀時の様子には構わず、山崎は真正面の雑踏を見据えた侭、何でも無い事の様に口を開いた。 「例えば…、折り合いの悪さで評判の元攘夷志士のお人と人目を憚って会っている事とか」 「……こえーなお前」 山崎と同じ様に雑踏へと視線を向けながら銀時は浮かんだ皮肉を正直に投げた。よもや、とは思いはしたが、どうやらこの男は本格的に土方の事を『観察』しているらしい。言い種には清々しいまでの確信があった。淡々と事実を──しかも憚る様な秘め事を──指摘された事に対する居心地の悪さに銀時はそっと溜息を吐く。 居酒屋から連れ込み宿、或いは万事屋へと消えていく上司の姿をいつも追っているとしたら、それは大層に趣味の悪い話と言わざるを得ない。職務であろうと、無かろうと。 「真選組の副長ってのァ、プライバシーも何もあったもんじゃねェ訳?」 「どう言う関係性か、までは存じてませんよ流石に」 辛辣な調子で投げる銀時に、山崎は困った様に眉を下げて言う。見損なわないで下さい、と言いたげなその調子に、どうやら本格的に土方の事を案じているらしい響きを感じ取って仕舞った銀時は、吐き出しかけた二度目の溜息を飲み込んだ。その侭無言で続きを待つ。 「……旦那が最後にあの人と会ったのはいつですか?」 黙り込んだ銀時の間を、問いを待つものであると察したのだろう、少しの躊躇いの後に山崎は平淡な声音でそんな疑問を口にした。然し感情も特に乗らない社交辞令の挨拶じみた問いには答えを強制する様な力は無い。元より無理矢理に訊こうと思っていた訳ではなさそうだ。 関係性とやらの内容は兎も角。そんな事を問われるだけの疑いを抱かれていそうな事も兎も角。嘘をついてまで隠すだけの効力を持つ手札なぞ端から持ち合わせていない銀時には、その解答を正直に話す事は別段問題のある事でもない。 とは言え○日間足繁く落ち合う飲み屋に通ってはもやもやとした心地を持て余していたと知られたい訳でもないので、銀時は視線を空に游がせながら、さも記憶を手繰る風情で、何日前ぐらい、と曖昧に答えた。 「確か次の日は朝から会議だとか何とかでさっさと切り上げてったけど」 思い出して言い添えれば、山崎は何かを考える様に指を折り畳み数えて小さく頷いた。 「確かに、月に一度の朝議がある日が近いですから、その日でしょうね」 それから、一呼吸の間を置いて続ける。 「…………多分、その頃からです。様子がおかしくなったのは」 誰の、と言われずとも解る。土方の様子が、山崎や沖田の目から見て明らかに何か変わった、と言う事だ。そしてそれは銀時と最後に会った頃と大体一致していると言う。 符号が合った。それともそれは単なる偶然の一致なのか。銀時は思わず眉を寄せる。 少なくとも銀時には心当たりはない。思い起こす『最後』の分かれ方も、「朝が早いから」と早々に切り上げ出て行ったと言うだけのもので、土方の様子には概ねいつもと変わりは無かった。筈だ。 銀時は自身を容疑者(何の容疑とも知れないが)から容易く外せるが、そうなると土方の身に、或いは心に何か生じた原因は、『その後』の何かにあると言う事になるのだが── 「……お前まさかアイツの事疑ってる訳じゃ無ェよな?」 「疑わなければならない事態ならそうしますが、今はそうじゃないですよ。俺が疑ってるのは寧ろ旦那の方です」 「………だよな」 念の為に問えばさらりと返され、銀時は思わず両肩をだらりと落とした。そうでなければこの男がこんな話題なぞ持って横に座る訳も無い。こんな疑念混じりの問いなぞ投げて来る筈も無い。溜息と呻き声の混じった音を喉で鳴らすと、疲れた様に丸まった背を起こして団子屋の店先の壁にどっと寄り掛かる。 「つまりお前は、俺がアイツに何かしたと思ってると?」 「…………確証は無いですよ」 「確証を探してるって事で良いのかねそりゃ」 切り込む調子で言う銀時の方を寸時見遣った山崎だったが、返ったのは受ける刃ではなく躱す白旗であった。降参でもするかの様に両手を軽く持ち上げて、彼はまた困った様に笑う。 「すみません。旦那を疑っていると言うより、他に理由らしい理由も見つかりそうもないってだけの消去法の話です」 「そりゃまた呆れた杜撰な捜査だねェ」 消去法で疑いなぞかけられては堪らない。目が自然と細くなる銀時に、山崎はもう一度「すみません」と重ねた。 ややしてから、溜息と言うには少々深すぎる息を肺から吐き出す。雑踏に紛れる重たげな空気を躱す気も無くなっている銀時も同じ様に、小さく息継ぎをした。 「解らないんですよ」 重い吐息の先を探す様に視線を俯かせて、不意に山崎がそうぽつりと吐き出した。何が、と銀時が問うのを待たずに、独り言の様な言葉は続けられる。 「真選組の副長である事を己の一部であり一番であると認定してるあの人が、真選組以外の『何』に煩わされて、あそこまで参っちまってるのかが。どんなに観察しても、俺には見えそうもないんですよ」 一人きりの弱音めいたその言葉からは、山崎が真選組の監察として、土方の部下として抱く強い自負が感じ取れて、銀時には返す気休めも言葉も無かった。尤も、何かを言って欲しかったと言う訳でも無いのだろうが。 「……何か、他に──、何があるんでしょう。旦那には解りませんか。何か、あの人がそれこそ立ち行かなくなっちまう様な、何か、が」 完全に俯いて仕舞った山崎の顔は、その被った笠の陰に完全に隠れて仕舞って伺い知れない。銀時は消沈し項垂れるその姿を見て、それから良く晴れた空をそっと仰いだ。 何かしてやりたいと、何かを知りたいと、幾ら思ってみた所で、手の届かせてくれない相手を前にどうしたら良いのかなど解りもしない。山崎が僅かたりとも、消去法とは言え疑ってみるに値する根拠に至ったのだろう件の関係性も、所詮は只のセックスフレンド未満。或いは以下。そんな所に収まって仕舞った、収まらざるを得なくして仕舞った銀時に今更、土方を悩ませ苛む程の『何か』があるとは到底思えないし、有り得ない。 だから、思い当たりも無いし、解りようもない。況して、秘密の共有者としての関係性さえ土方が拒んで仕舞ったのであれば猶更だ。 化け物でも見たかの様に、狼狽え、恐怖して、背を向けた。その酷く不快な土方の態度は、恐らくはもう二度とは会いたく無いと言う気持ちの顕れだったのではないかとさえ思える。視界から存在を無意識に排除して仕舞う程に、決定的に厭う、或いは避けたかったのではないか、と言う、そんな可能性に気付かされて仕舞った。 (何か、ってのがあったとして……、) それが原因で土方の様子がおかしいとして。銀時にはそれが知れる筈も無い上に、なんとかしてやれるものでも無いだろう。最早両者の関係はセックスフレンドでも秘密の共有者でも無い、避けたい程の存在に成り果てたのだとしたら。 (それこそ、俺に解る訳無ェだろうが…) 浮かんだ苦い感情を奥歯で擦り潰して呻く。そもそも土方は本当は銀時とあんな関係になった事をどこかで後悔していたのかも知れないのだ。その真偽すら今となっては知れないし問えないのだから、お手上げと言う他ない。 「…………俺には、」 銀時に向けてか、それともこれもまた独り言か。やがて山崎がそう呟くのが聞こえて来た。そっと視線を天から戻せば、相も変わらず悄然と俯いた姿がそこにはある。 落ち込んでいるのだろうか。部下であると自負しているその癖、土方の身に降った『何か』の異変に思い当たる事の出来ない自分に。 ……或いは、 「旦那はあの人にとって、『特別』だった様に見えてました。どう言う関係か、とかではなくて、あの人の周囲には他に絶対に無い存在として。真選組(俺達)では足り得ない…、例えば寄る辺とかそう言うものとでも言えば良いのか」 考える様な横顔に苦笑の色を乗せてそう言うと、山崎は自らの膝の上に置いた拳を握り固めた。力が入って強張る両肩と同じ、硬さを宿した声で続ける。 「少なくとも真選組に関わる問題じゃないんです。俺の把握している限りでそれは有り得ない。 だから、もしも『何か』があるのだとしたら、それはやっぱり旦那に纏わる事で、旦那になら何とか出来る事なんだと思うんです」 ……そう。或いは、問題と推測される『何か』を解決する事は自身には決して出来ないのだと、そんな諦めにも似た確信を得て仕舞っていたからなのか。 顔をそっと起こした山崎は、今度は疑わしき者を探る様な表情をしてはいなかった。 「あの人をあそこまで参らせ、そしてさっきの偶々の遭遇で狼狽させたのは間違いなく旦那なんです。この二つは別の事とは到底思えません。偶然だとも思えません。旦那の事で『何か』参っていたからこそ、あの人は無意識に旦那の存在を視界から消していた。話しかけられて、気付かされたからこそ、恐れて逃げたんです」 がん、と側頭部を殴りつけられる様な言葉の衝撃が銀時の脳髄を不安定に揺さぶった。 どうして『あの』土方が、銀時の事を無意識にでも避けようとして、『恐れて』逃げ出したと言うのか。どうやれば、何をすれば、そんな事が起こり得ると言うのか。あの男が、あの負けず嫌いで自尊心の高い男が逃げると言う選択肢を選んで仕舞う様な。そんな『何か』が己に纏わる事にあると……? 「………それでも、心当たりはありませんか?」 「……………悪ィが…、」 問いを重ねる山崎の、縋る様な目が失望の色を見せる前に、銀時は掌に顔をそっと埋めて目蓋を下ろした。 心当たり? ある筈がない。解る筈もない。ただのセックスフレンド未満の男に、一体何を期待すると言うのか。そもそも期待なぞ寄せられる程に、銀時は土方の事なぞ知り得てさえ居ないのだ。 最後の日は普通に過ごして普通に分かれた。飲みに行った帰りに連れ立って宿へと向かって、ヤる事をヤッてそれでお仕舞い。朝が早いからと早々に引き揚げた事以外にいつもと異なった点は何も無く、銀時の憶えている限り土方の様子も普通だった。 実際その顔の裏にどんな感情が蠢いていたのか、何を望んでいたのか、何を厭っていたのか。それすらも計り知る事の叶わなかった様な人間に、一体何が、解ると。 「……………………無ェ。解らねェ」 ぐるぐると脳の内側を流れて流れ着いた先の言葉には、己で情けないと思える程の弱々しさが漂っていた。掌で覆ったその内側で奥歯を噛んで、銀時はかぶりを振る。 「そう、ですか」 沈黙は思った程に長くなかった。足下へと視線を戻した山崎はそう絞り出す様に言うと、肺を空っぽにする様な溜息を落としながら立ち上がった。 「…旦那、本当にいきなり不躾にすみませんでした」 山崎がそっと腰を折る気配を感じながら、 「……で、その不躾な疑いってのは晴れた訳?」 嫌味かと思いつつも銀時がそう言えば、鼻を鳴らす力無い苦笑が返る。 「端から疑ってはいないって言ったでしょう。ただ、」 そこで一旦切られた言葉に、銀時は掌から顔を持ち上げ、目前に立つ地味な男の苦しげな表情を見上げた。恐らくは同じ様な表情をしているのだろう、銀時のその動きを待ってから山崎は言う。 「心当たりの有無の問題じゃ無いと言う確証は得ました」 効力は無いが、痛烈な弾劾にも似た言葉に銀時が顔を顰めるより先、山崎は「それじゃあ」と、いつも通りの薄っぺらい印象のある愛想笑いを置いて背を向けた。笠を被った派手な着物の色彩が雑踏の中に紛れて仕舞えば、そこにはすっかり固くなった団子の皿とその横で悄然と座り込んでいる男の姿だけが取り残される。 (俺の、心当たりの問題じゃねェけど、アイツがおかしな様子になったのは俺の所為、ってか) 陰鬱な心地を抱えた侭、団子の串を手探りで掴んで呻く。 (……どうしろって言うんだよ) 山崎の棄て台詞──否、置き土産と言うべきか──の示す所は言うまでも無い。心当たりがあろうがなかろうが原因はアンタみたいだから何とかしてやって下さい、と言った所か。 心当たりが無い、と言う事実に対する銀時の良心と、無い事に対する落ち込みとを両側から痛く突いて来ているから実にたちが悪い。これでは責任も心当たりも無くとも何だか自分が悪い事をしている様な心地になるではないか。 そうでなくとも、あの瞬間の土方の表情や態度を思い起こすだけで、銀時の胸の奥は軋んだ痛みを訴えて嘆く。通じてはいないだけで互いに悪くなど思っていなかったと言う確信さえあったと言うのに、それがどうだ。怯えて、避けて、逃げた。そんな、嫌う、と言う感情ですら値しない様な所に、どうして。 一体土方に何があったのか。 (何か出来るとも思えねェんだけど) 疑問は湧けど、正直な所ではそう言わざるを得ない。理解も共感も何一つ得られていない間柄の人間に何が出来ると言うのか、全く見当もつかない。 「……それでも、何かしてみてくれ、って、ンな無責任な話、」 胸中で持て余した鬱屈は最早溜息にもならない。余計な事態を招いた沖田にも、厄介な事を投げていった山崎にも、忌々しさを憶えずにいられない、が。 関わる関わらないはさておいて、ずっと気になっていた事は事実だ。それは認めなければならない。それだけの理由が己にあった事は、肝に命じておかねばならない。 (………今日は、通常なら夜は非番か) 気付けば憶えるともなしに憶えて仕舞っていた土方のスケジュールを思い出してそうぼやくと、銀時はすっかり表面を乾燥させて固くなって仕舞っていた団子を串から食い千切った。 旨い筈の団子だと言うのに、味なんてしなかった。 。 ← : → |