もう誰が世界と和解するものか ※朱キ日とそれからのPIXIESの適当妄想。 ========================= 【五十鈴】 ○月○日付 辞令 神崎貴広。同日を以て特殊情報課伊部隊 "PIXIES" 隊長を解任。 同日より商品管理部商品育成課へ異動。商品管理部管理職へ昇格。 南部方面管理係所属、南南部諸島中央管理下 南南部諸島第2563号島 護衛メイド最終訓練工程試験連絡洋上訓練所 ”Killing My Business and... Business is Good!” 管理責任者を任ずる。 細かい内容までは知らないが、通達された内容はそんなものだったと言う。 商品管理部の人事課連中が偉そうにやって来てそんな事を告げたのだと、そう口にした貴広の様子はと言えば、相変わらずの平淡さであった。 作戦の失敗、多くの部下の人材損失に対する責任、受け取りを拒否された辞表、失った右足──彼の身にその日一日の内に降り積んだ出来事は、到底一月や二月では消化の出来ない様な事であっただろう。 それらを飲み込み損ねた貴広と異なり、既にあの時から覚悟と途とを見出して仕舞っていた六天の五人は、上司の処分の内容になど関わらずにそれぞれ行動を起こしていた。 五十鈴は、貴広の意志を尊重する事を信条としていたが、双子の兄である伊勢はそうではなかった。伊勢はいざとなれば貴広の意向に背いてでも、己の意志決定で貴広の事を護ろうとするだろうとは、想像するまでもない事実だ。 だから五十鈴はそんな伊勢が見舞いついでに貴広に、カンパニーへの叛逆を囁いたと聞いた時も然程に驚かなかった。どうせそんな事だろうと思ってはいたが、案の定貴広当人に突っぱねられた事で思い詰める様な様子で居たので、五十鈴も見舞いついでに、そんな兄のフォローはしておいた。 正直、伊勢の感じている憤りは理解しているつもりだ。カンパニーが貴広が漆黒の能力と右足とを失った事実を隠蔽したのも、神崎貴広を未だ利用し、飼い殺そうとしているのは明らかであったし、五十鈴はその事には憤り以上のものは抱いている。 だが、全てを喪ってこれから長い時間をかけて己を見つめるであろう貴広に、自分たちと言う『部下』を抱え続ける責任を猶も負わせて、苦悩と罪悪感と自らへの失意とを深めさせたくは無かった。 それに何より肝心の貴広が、人事の下したその辞令を己に課せられた処分として諾々と受け取ったからだ。貴広がそうすると決めたのならば、五十鈴はそれを尊重する。 貴広がひとりきりでそれを負おうと勝手に決めた事に憤りを憶えたとして、五十鈴はそれを尊重する。 朱キ日の敗走の後、何日もの間昏睡状態に陥っていた貴広の姿を思い出すと、五十鈴の背筋は今でも震える。点滴や計測機器のたくさんの管に繋がれて眠っていた姿は、死体よりも余程死体の様だった。 貴方が生きていて良かったと、漸く目を覚ました貴広に縋って五十鈴は泣いた。ずっと、目を閉じ眠る死体の様な姿を前に、心臓を冷えた手で撫でられている様な恐怖を感じ続けて夜も眠れずに過ごした。 あの時、極東日没の手で、彼は間違いなく一度壊された様に見えた。その時の数分の絶望よりも、目覚めず眠り続ける姿を見つめ続ける方が余程に長く、辛く、恐ろしかった。 頭部が無かったから実感が湧かなかったのではないかと思った。逆に言えばそれは、神崎貴広は頭部を失おうが蘇ったのだから、右足が無いだけで眠っているだけならば、再び目覚めない道理など無い筈だと言うのに。 何も出来ずに見つめるだけ。あんな恐怖は、絶望は、もう御免だった。 恐らくは伊勢も同じ様に思ったからこそ、貴広がもうこれ以上傷ついて損なわれる事が万一にでも無い様、カンパニーから連れ出したいと考えたのだろう。 そして、それが貴広自身の意志によって拒否された以上、彼らのする事はひとつしかなかった。選択肢は、そう在ろうと思えるものは、そこにしかなかった。 (……僕たちの存在は、これからのあの人の、呪いの様になるのかも知れない) メトロの駅構内で、柱に寄りかかって電車を待っていた五十鈴は、そっとワイヤレスヘッドフォンの音量を上げた。耳に満ちる古風な旋律にテンポを合わせる様に瞬きをして、柱から背を浮かせる。 《間もなく、電車が参ります──》 機械のアナウンスがホームに流れ、電車を待つ人々が動き始める。線路の向こうの暗がりから徐々に轟音が近づいて来る。 己を伺う気配の数は、ずっと数えていたから間違いない。五つ。たったの五人。たったの五人で、『神風』を監視し、それで何が出来ると言うのか。 耳で奏でられる旋律を轟音の中から聞き取りながら、五十鈴はホームへと侵入して来る電車の方へと歩を進めた。いつもの仕事着であるスーツではない、私服の、サイズの大きなコートがふわりと翻る。 電車の侵入して来る線路に向かう様な五十鈴の足取りに、五人の、監視者たちの気配が動いた。万一の時にはメトロを待つ一般人を巻き込むのも厭わないのだろう行動に、カンパニーらしい事だと小さく、苦く笑む。 ついさっきまで己もそちら側に居たのだ。否、未だ居るのかも知れない。 「待て、」 一番近くに居た監視者の手が伸ばされた。恐らく彼らは、五十鈴らが何か不審な行動を起こしたら直ぐに取り押さえる様に命じられているのだろうし、その為の行動の許可も下りているのだろう。迷いの無く、迅速な動きだった。 然しその手が肩に僅かでも触れるより先に、五十鈴の爪先はホームを蹴っていた。迫る電車の風圧が──トンネル状の地下鉄と言う狭い空間で逃げ場を求め逆巻くそれを受け、くるりとその場で優雅に半回転すると、五十鈴は懐から取り出した一枚の封筒を無造作に、監視者の男のスーツの胸ポケットへと差し込んだ。 「辞表です。申し訳ないですが、頼まれたと思って人事へと届けておいて下さい」 ふわりとホームを飛び出し中空に浮かんだ五十鈴の身体が、電車に衝突する。周囲の目撃者や監視者たちにはそう見えただろう。まるで自殺の様に。 目撃した人々の悲鳴が上がる。運転手が慌ててブレーキをかけるが、その頃には五十鈴の体は狭い空間を抜けて来た風の手助けを借りて、速度を上げて駅を離れていた。 背後で、ブレーキと線路の立てる軋み音がけたたましく響く。悲鳴や怒号。それらが忽ちに風の向こうへと遠ざかっていく。 ある程度の距離を飛んで、線路脇に素早く着地するとその勢いの儘に駆ける。逃走経路は予め調べ尽くしてある。この儘地下の古い廃線路から下水に一旦入り、暗渠を通じて監視網の強い都市部から速やかに離れる。 同時刻に、伊勢も、矢矧も、島風も、雪風も、それぞれの手段を用いて、同じ様につけられている監視者たちを撒いて行動を起こす手筈になっている。カンパニーの優秀な人材であった五人が同時に、バラバラの場所で、異なった遣り方で、カンパニーから逃亡する。粛清部の総力を尽くした所で、易々とは追跡出来ないとは既にシミュレート済みだ。 その猶予時間にカンパニー領から他国へと身を潜める。その計画も時間をかけて綿密に準備したのだ。五人の逃亡は間違いなく成功するだろう。 (それに…、カンパニーは多分、出来る総力を上げてまで僕らを執拗に追いはしないだろう。少なくとも暫くの間は。何しろ…、) 予め破壊してあった地下通路の扉を静かに開けて中へと滑り込むと、五十鈴は着ていたコートを素早く脱いだ。丸めて小脇に抱えると、襟元に装着した小型のライトを灯し、丁度静かなテンポになった、ヘッドフォンから流れ続けている曲調に合わせて早足で進んでいく。 (何しろ、僕たちの到達点である人が、カンパニーの掌中に収まっているのだから) 人質、と言い換えても良いかも知れない。無論、その前提は五十鈴らが貴広に付き従う意志が無ければ成立しない事だが。 どの途、貴広の元を離れるつもりは、五十鈴にも、勿論伊勢にも、残りの三人にも全く無い。彼らはカンパニーから逃亡こそするが、貴広の部下である事を已める気などさらさら無いのだから。 (隊長はきっとそれを負担に感じる。それでも、貴方の意志に従いたいから、僕らはこうする事を選ばずにはいられなかった。貴方が何を、これからの時間で望んだとしても、それは変わらない) それはいっそ盲目的な崇拝や恋に近い。己の全てでさえ無条件に捧げても全く惜しくないと思った。独りよがりな情ではなく、何の見返りも欲してはいないただの愛情。畏れと感嘆と尊崇の果てに生じたのは、貴広に対する絶対で永遠の服従。自らが望んでそうした、絶対的な確信。 そう抱いてもおかしくない、そう在るべきなのだと疑いの一つもなく受け入れた、その感情を共有出来ているのはPIXIESの中でも六天と呼ばれ貴広に親しく在る事を赦されていた、伊勢、五十鈴、島風、雪風、矢矧の五人だけだ。 ナーサリークライム、神崎貴広。その肉も魂も、世界より染み出た漆黒と呼ばれる黒く冽い雫の裡より生じて、人間であるがゆえに、在ろうとするがゆえに、ここに今奇跡の様な調和を描いて保たれている。 神、と。そんな陳腐な言葉ではそれは表せないものだった。だからそれが、朱き色彩の地獄の下で失われかかるのを目の当たりにした時に、初めて五十鈴は恐怖した。この不死の存在は、然し同じ不死の存在にならばきっと破壊されて仕舞うものなのだ。それも、きっと極一部、貴広が例えば人間で在ろうとしていた部分とか、そう言った所を、どうしようもない程に壊して仕舞う。 不死。不朽。然し、不変に非ず。 ゆえに彼らは叫んで抗った。このひとを奪われて堪るかと。 抗って、見守って。そうして彼らは、ただただ人間で在ろうとし続ける人の、そのささやかで可愛らしい願いをただ叶えてやりたいと至った。 (……だって、そうでもなければ余りに気の毒だと思ったからだ) 使われ、疲れ果て、奪われて、鎖されて。それでも自分を人間と変わらぬものだと思いながら、人間として在り続けたいと願う、無力な雛の様な存在。 カンパニーは彼に、無力な存在で在り続けろと望んだ癖に、その全てがそうではない。身勝手に偶像としての神や権力を求めて、或いはそうなる事を畏れて、奴らは神崎貴広を勝手に取り扱う者も多く存在している。 勝手に望んでおいて勝手に失望して勝手に畏怖して、全く愚かしい話だと、五十鈴は思う。 「………だから、僕は──僕たちは、貴方を護る。貴方を害する全てのものから。そう、課したんです。そう、決めたんです」 誰にも届ける気のない言葉を小さく呟いて、五十鈴は足を止めた。それとほぼ同時に途切れる耳からの音楽に、ヘッドフォンを首までぐいと下げる。 襟元のライトを下方に向けて少し左右を見れば、目的の、嘗てこの廃駅が動いていた頃には地下設備のメンテナンス用として使われていたマンホールを発見する。 屈み込むと五十鈴はマンホールの小さな通気孔に手を近づけ、内側から風を流入させて軽くした蓋を退けた。がらん、と重たい音が反響したが、まだ追っ手の気配など到底しない。計画は順調だった。 小さな竪孔に錆びついて古そうな梯子が続いているのを横目に、五十鈴はそこへ無造作に飛び降りた。気流を作り出して落下速度を調節し、靴底が地面を見つけるまで維持する。 機械設備のあった地下空間には殆ど物は残されておらず、今は放棄された棚や箱やらゴミ程度しか落ちていない。眼前の扉の向こうから漂う、水音と不快な匂いが充満する空間に顔を顰めるが、文句を言ってもいられない。ある程度は風で誤魔化せるのだから。 歩き出す前になんとなく頭上の、マンホールの小さな、光のない出口を見つめて思う。本当にカンパニーに叛逆したのだな、と。 然し罪悪感も後悔も感慨も、なにひとつ湧いて来ない。 特殊情報課の養成所で、沢山の同胞の屍を越えて得た身分と言う分際。そこで栄誉を得て名声を知った。人並みかそれ以上の生活を得た。 だが、それを棄てると思っても、矢張り何も特別な思いなど湧いては来なかった。 五十鈴は苦笑した。矢張り自分たちは、神崎貴広と言う存在そのものに魅せられ、惹き寄せられているのだろうと。理解し思い知っていた以上に、思い知らされた気がした。 (それ以上はいらない。それ以外はいらない。貴方の意志に添う事。そして殉ずる事。それだけでいい) 途中でコートを逆方向に捨てて、五十鈴は扉を開くと暗闇へ飛び出し、走った。伊勢とも、仲間たちとも、行動を起こすタイミング以外の事は何一つ互いに話してはいないが、それでも彼らも今この瞬間に同じ様にして、同じ事を思って、前へと──貴広の元へと進んでいるのだろうと、確信していた。 一応、真っ当な手段でのカンパニーからの逃亡は難しいだろうと言う事で…。もえかすでは平然と本社の側に貴広の「お願い」を受けて戻ってるけど…。 ← : → |